作新学院・石井主将 日本ハム内野手の兄追いかけて…大学でもさらにその先目指す

[ 2019年8月25日 10:00 ]

甲子園の土を集める作新学院・石井(撮影・大森 寛明)
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 当コラムでは令和最初の甲子園大会で、スポニチ高校野球取班が印象に残った選手や大会中のこぼれ話を、リレー形式で紹介します。第2回は、8強入りした作新学院(栃木)の主将・石井巧内野手(3年)をとりあげます。

 兄の背中を追い続けた3年間だった。石井主将は、日本ハム・石井一成内野手(25)の7歳差の弟。兄も12年の高校3年時に作新学院で主将を務め、ポジションも同じ遊撃手だ。最後の夏に残した成績も全く同じベスト8。弟は、「甲子園で活躍する兄がかっこよかった。入学を決めた理由はその一言に尽きます」と同校に進学した経緯を説明する。

 父・勲さん(48)によれば、「巧にとって一成は憧れの存在だけど、同時にライバルだったんだと思う」。弟は幼い頃から何かと競争心を燃やした。学童野球で小学2年生からレギュラーをつかんだ際には、「兄ちゃんはレギュラーになったの4年生からなんだ。だっせえ」と挑発。兄の高3の夏に甲子園へ応援に行った際にも、「僕がここでプレーするイメージはできた。兄ちゃんより僕の方がうまいから」と常に張り合った。「気持ちの強さと負けず嫌いは兄以上」と勲さんは笑う。幼い頃から兄が残した成績を意識して、それ以上を目指してきた。

 一方でそんな姿に、両親は心配もあった。一成は地元でも有名な野球選手。巧が中学3年生だった16年には、ドラフト候補と世間で騒がれていた。作新学院への入学を決める際、父は言った。「(周りに)兄ちゃんと比べられるぞ」。それでも負けず嫌いな姿勢はぶれなかった。「でも俺は兄ちゃんに負けない」

 中京学院大中京(岐阜)との準々決勝。巧は初回に先制3ランを放ち、気を吐いた。それでも終盤に投手陣が捕まり、打線も2回以降援護点を挙げられずに逆転負け。試合後に涙を流してこう語った。「兄と同じベスト8が目標ではあった。でも自分たちは自分たちの代で1位を獲りたかった。負けて悔しい」。憧れの存在と同じ成績にも、決して満足はなかった。

 卒業後も兄を追い続ける。「大学で野球をやります」と力強く宣言した巧。一成も大学を経て、プロの世界に羽ばたいた。これからも目指すは兄の背中。いや、弟の眼前に広がるのはさらにその先だ。(武田 勇美)

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