入学当初は大学進学本線も 清宮 プロ決断した3つの経験

[ 2017年9月23日 05:30 ]

晴れやかな笑顔でプロ志望届を提出することを表明する早実・清宮
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 高校通算最多111本塁打を誇る早実の清宮幸太郎内野手(18)が22日、都内の同校で会見を行い、プロ志望を表明した。同校の先輩にあたる王貞治氏(現ソフトバンク球団会長)が持つ世界記録、868本塁打への挑戦、将来的な大リーグ移籍の目標を口にするなど決意を語った。10月26日のドラフト会議は日本中の注目を集めることになる。

 自らの覚悟を伝える大切な場。緊張で声が上ずる場面もあった。それでも清宮は30分、前を見据え、力を込めて話した。

 「私、清宮幸太郎は、プロ志望届を提出することに決めました。プロの世界の厳しさは十分理解しているつもりですが、より高いレベルに身を置き、鍛錬し努力することで、目の前の目標を一つ一つクリアしていきたい」

 現役時代の丸刈り姿から髪をやや伸ばした怪物は続けた。

 「(プロは)昔からの自分の夢。野球に一番集中できる環境。成長させていただける球団に行きたい」

 進路を最終決断したのは侍ジャパン高校代表として出場したU―18W杯から帰国後。カナダ渡航中には早大・鎌田薫総長、早大野球部の高橋広監督、早実・和泉実監督らが、ラグビートップリーグ・ヤマハ発動機監督で父の克幸氏と会談の場を持っていた。だが、清宮の意志は固く、家族会議を経て「帰ってきてすぐ決めた。(家族も)自分の選んだ道を後押ししてくれた」と明かした。

 早実入学当初は「大学進学」が本線。プロへ気持ちが傾いたのは「2回ジャパン(侍ジャパン高校代表)に選ばれたこと、甲子園に出場したこと、(高校通算最多とされる107発の)本塁打の数を更新したこと」と挙げた。関係者によると、克幸氏も和泉監督に「本塁打数を伸ばした場合はプロもある」と伝えていたという。高校歴代記録を塗り替える一本一本のアーチがプロへと導いた。「次の大きな夢に挑戦するべきと確信に至った。一つ一ついろいろなステージを踏むことでプロの世界も見えてきた」と言った。

 自らの言葉に責任を持ち、重圧を力に変えてきた18歳は、あえて早実の偉大な先輩で、「憧れ」と理想の選手に挙げる王貞治氏の868本塁打の世界記録を目標に掲げた。

 「いずれは868本を目指せるような選手になりたい。早稲田(実業)の先輩ですし、むしろ目指さなきゃいけないという使命感。日本でずばぬけた活躍がしたい」

 プロ野球で自他ともに認める存在となる。その先に「夢は変わっていない」と語る大リーグの舞台、本塁打王の野望がある。 (東尾 洋樹)

 ◆清宮 幸太郎(きよみや・こうたろう)1999年(平11)5月25日、東京都生まれの18歳。早実初等部4年から東京北砂リトルに所属。早実中1年だった12年夏にリトルリーグ世界選手権に出場し、世界一を達成。その後は調布リトルシニアに所属し、早実に進学。入学直後から中軸を打ち、1年夏、3年春に甲子園に出場。1メートル84、101キロ。右投げ左打ち。

 ▽王貞治の868本塁打 早実から投手として入団した直後に一塁手へ転向。高卒新人ながら7番・一塁で開幕先発を果たすが、1年目は打率.161、7本塁打に終わった。転機は3年目を終えた61年オフ。荒川博打撃コーチが就任し、一本足打法を伝授された。4年目の62年に38本塁打、85打点と才能を開花させ現役最後の80年まで19年連続30本塁打以上をマーク。64年の55本塁打など歴代最多15度の本塁打王に輝き、通算868本塁打を放った。

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