金本監督「打撃で一番の恩師」落合GM「学ばせていただいた」

[ 2016年10月4日 07:51 ]

山本一義氏死去 ( 2016年10月3日 )

1995年5月19日、阪神戦の8回に本塁打を放った金本を迎える山本コーチ
Photo By スポニチ

 【山本一義氏死去 球界の声】

 ▼阪神・金本知憲監督 突然の知らせに驚いています。打撃に関しては一番の恩師であり、コーチを辞められた後でもずっとアドバイスを頂いていました。これからも多くのことを教えていただきたかったので、残念です。

 ▼中日・落合博満GM(ロッテ時代の1982年、山本監督の下で自身初の3冠王)何事にも、正面からぶつかってくる方でした。その後も野球選手として、多くのことを学ばせていただきました。また昭和の野球選手がお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。

 ▼山本浩二氏 広島のスター選手で、私もファンだった。(一義氏が)法政に行っていたから、私も行こうと思った。私が広島に入団した時に、ご自宅にあいさつに行ったことを覚えている。プロでは同じ選手としてプレーしたが、(一義氏に)よく部屋に呼ばれ、夜中までバットを振ったし、プロの心得も教わった。(訃報を聞き)本当にびっくりしている。

 ▼外木場義郎氏(75年に20勝、初優勝時のエース)遠征先で常に部屋が一緒でした。野球に関しては妥協のない人でした。今年は体調が優れないということで、一度もお会いできていない。とても残念です。

 ▼大野豊氏(スポニチ本紙評論家)プロに挑戦しようと心が動いたのは一義さんとの出会いがあったから。広島に入った後も、野球の話をたくさん聞かせていただいた。人を思いやる情熱的な方。残念で寂しい。

 ▼野村謙二郎氏(スポニチ本紙評論家)背番号7の先輩で情熱的な方。コーチとして打撃理論と「一人ではできない。ファンを大切にしろ」と指導していただいた。残念です。

続きを表示

この記事のフォト

2016年10月4日のニュース