ヤクルト・広岡ド派手デビューに胸を熱くしたDeNAベンチの“監督”

[ 2016年10月4日 10:30 ]

9月29日のDeNA―ヤクルト戦(横浜)前、再会を喜びポーズを取るヤクルト・広岡(左)とDeNA・光山バッテリーコーチ
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 9月29日。横浜の街は番長一色に染まっていた。DeNA・三浦大輔投手が25年間にも及ぶプロ野球生活に区切りを付けたこの日、プロ野球人生のスタートを切った選手がいた。

 ヤクルトの広岡大志内野手(19)。ドラフト2位で入団したルーキーは初めての1軍切符をつかみ、いきなり「8番・遊撃」で先発出場を果たした。その第1打席は2回1死一、三塁で回ってきた。初球はフルスイングで空振り。2球目。フォークをまたも強振すると、打球は左翼席へと突き刺さった。高卒新人の初打席初本塁打は球団史上初の快挙。19歳のど派手なデビューは、ニューヒーロー誕生を予感させた。

 お祭り騒ぎの三塁側ベンチ。しかし一塁側ベンチにも一人、敵であることを一瞬忘れ、その弾道に目頭を熱くさせている男がいた。DeNAの光山英和バッテリーコーチだ。小学校3年の時、松原ボーイズで野球を始めた広岡が初めて出会った「監督」であり、「野球とは」を一からを学んだ人物でもある。

 光山氏は懐かしそうに当時を思い出していた。

 「小3から中3まであいつを見てきた。最初に見たときからプロ野球選手になれたらいいなと思うくらい、力は飛び抜けていたんだよ。試合ではベンチで横に来て質問してきて、かわいらしかったなあ。監督の近くを嫌がる子もいたけれど、あいつはいつもくっついてきた」

 小学生の時には全国ベスト4、中学生の時には全国優勝を成し遂げたチームの中心選手だった。広岡は中2のときに父・祥丘さんを亡くした。それ以来、光山氏は監督としてだけではなく、時には父親のように寄り添った。厳しいこともたくさん言ったという。「グレないようにって、それだけは思っていた」。周囲の支えを受け、強豪の智弁学園に進学して野球に打ち込み、プロの門を叩いた。

 初めての昇格がDeNA戦だったことも、きっと運命なのだろう。天国の祥丘さんも喜んだに違いない。再会した二人はガッチリと握手を交わした。広岡の試合前練習中も光山氏はずっと心配そうに見つめていた。「こんなこともあるんだな。めちゃくちゃ活躍してほしいよ、あいつには」とつぶやいた光山氏。広岡からの感謝の思いと成長の証は、何よりも力強い打球が表していた。(記者コラム・町田 利衣)

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2016年10月4日のニュース