山本一義氏死去 広島で4番、コーチと監督で金本、落合らを指導

[ 2016年10月4日 07:45 ]

95年2月、春季キャンプで金本(左)に指導するコーチ時代の山本さん
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 広島で4番打者として活躍し、ロッテでは監督を務めた山本一義(やまもと・かずよし)氏が9月17日午後9時4分、尿管がんのため広島市内の病院で死去したことが3日、分かった。78歳。広島市出身。18、19日に通夜、家族葬が営まれた。低迷期の広島を支え、現役最終年の75年にはコーチ兼任で広島の初優勝に貢献した。

 亡くなった17日は古巣が25年ぶりのリーグ優勝を果たした直後。地域とチームの盛り上がりに水を差したくないという本人の意向で、レギュラーシーズンの終了を待って発表された。松田元オーナーは「美しいスイングをする人だったし、論理的に教えられる、いい打撃コーチだった。残念だ。昔かたぎな尊敬される人だった」としのんだ。

 広島商3年時は春夏で甲子園に出場。高校時代は無死満塁で敬遠されたこともあった。法大を経て61年に広島入り。巧打の外野手として、1年目からレギュラーを確保した。タイトルこそ縁がなかったが、カープ一筋で15年間プレー。初優勝した75年に引退した。現役引退後はコーチとして高橋慶彦、金本知憲らを育て、ロッテ監督時代の82年には落合博満が自身初の3冠王を獲得した。

 卓越した打撃理論とともに情熱、愛情を併せ持っていた。ドミニカ・カープアカデミーの指導に出向いた91年。リポートに「人を愛し、自分を愛し、その仕事を愛そう。それができれば成功者だ」と記した。若手だった新井が観客席からファンにやじられ、言い合いになった際、評論家だった山本氏から「子供たちが見ている。おまえがそういうことをしたらダメだ」と諭されたという。

 広島に惜しみなく愛を注ぎ、愛された山本氏。32年ぶりの日本一に向けたカープナインの戦いを、天上から見守る。

 ◆山本 一義(やまもと・かずよし)1938年(昭13)7月22日、広島県生まれ。広島商―法大を経て61年に広島入り。球宴5度出場。ベストナイン2度。74年からコーチ兼任。広島が初優勝した75年に引退した。通算1594試合で1308安打、打率.270、171本塁打、655打点。広島、近鉄でコーチを歴任し82、83年にロッテ監督。南海コーチを経て94年に復帰した広島でチーフ兼打撃コーチとして金本らを育てた。

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2016年10月4日のニュース