【レジェンドの決断 斎藤隆2】メジャー挑戦が運命と野球観変えた

[ 2016年1月6日 13:55 ]

昨年12月のウインターミーティングで質問に答える斎藤氏

 引退後、パドレスへの1年間のフロント留学という道を選んだ斎藤は、昨年12月7日からテネシー州ナッシュビルで4日間開催されたウインターミーティングにも参加した。全米最大級のホテルに、球界関係者が一堂に会するオフ最大のイベント。この期間に大物FA選手が次々と巨額契約を結んだ。

 「会議にはあまり出たことないから比べようがないけど、やっぱりピリピリしている。1億、2億の世界じゃないから」

 ミーティングが行われるのはスイートルームで、ほぼ1日、缶詰め状態。長い会議は3~4時間にも及ぶ。A・J・プレラーGMが選手のデータや映像をスクリーンに映し、トレードなどチーム編成の戦略を練る。「この選手を獲るには2Aの有望株2人を放出する必要があるが、誰を出せばいいかを延々と話し合う。それは次のシーズンで優勝を狙うのか、3年後に優勝を狙うのかで違ってくる。ああいう交渉のリアルな世界を見たのは初めて」。斎藤も対戦経験があった選手について意見を求められた。

 このウインターミーティングでは69件の契約がまとまり、数百億円の金が動いた。しかし、それが全てではない。「あの4日間は野球の情報交換会のような場なんです。野球界に関わりたい人が職を求めて来たり、球団側も優秀な人材を求めてセミナーを開催する。驚いたのはグッズの販売。球場の椅子やビジョンまで売っている。そこに行けば、いろいろな交流ができ、チャンスが転がっている」。これは現場に行かなければ分からないことだった。

 あらためて24年間の現役生活を振り返り、「やっぱり、あの時にアメリカに行ったことが転機になった。その決断をしていなかったら、今の自分はないと思う」と言った。横浜(現DeNA)に在籍していた05年。故障にも苦しみ、わずか3勝に終わった右腕はオフに自由契約となり、海を渡った。「いつ辞めても後悔しないように行った」挑戦だったが、メジャーでは7年間もプレーした。そのことは斎藤の運命と野球観を変えた。

 昨年12月18日に一時帰国。3週間の滞在だったが、いろいろなアイデアが浮かんだ。「ウインターミーティングは、日本もやった方がいい。韓国や台湾も含めて、アジア版で。もっと球団間や、アジアの国同士が交流を持つべき」。野球のグローバル化が進む中、斎藤は新たな道を切り開こうとしている。2月のキャンプからがフロント留学の本格的なスタートとなる。 (甘利 陽一)

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2016年1月6日のニュース