木田氏、ハムGM補佐就任へ “サプライズ人事”編成No.2に

[ 2014年10月28日 06:00 ]

日本ハムのGM補佐に就任することが分かった木田氏

 ルートインBCリーグ石川でゼネラルマネジャー(GM)兼投手として活動し、今季限りで現役引退した木田優夫氏(46)が、日本ハムで編成部門のNo・2となる「GM補佐」に就任することが27日、分かった。交渉は大筋でまとまっており、11月中に正式発表される。現役引退と同時に球団の要職を任されることは異例で、元メジャーリーガーのフロント入りも前代未聞。日米8球団でプレーした苦労人が、球界に新たな風を吹き込む。

 数々の経歴を誇る木田氏が、新たな一歩を踏み出すことになった。用意されたステージは、来季3年ぶりのリーグ制覇を目指す日本ハムの要職、「GM補佐」だ。

 プロ28年目の今季も石川でクローザーを務めたが、目標としてきたNPBの球団から夏場までにオファーが届かず、8月に今季限りでユニホームを脱ぐことを表明。現役生活を最後まで全うしながらも、第二の野球人生を模索していた。引退直後には「やりたいことはたくさんある。今後についてはじっくりと考えたい」と話していたが、そんな中で10年から3年間所属した古巣からフロント入りを打診されたという。球界関係者は「日本ハムから要請を受け、最近になって入団を決断したようだ」と明かした。

 日本ハムの球団首脳には異色な人材がそろう。山田正雄GMはロッテでの現役時代に投打の二刀流に挑戦。引退後は下着メーカーで営業部長も務めた。大渕隆アマスカウトディレクターは高校教諭からの転職組だ。野球界に残る従来の発想にとらわれず、独自のスカウティングと育成でチームは最近10年間で06年日本一を含め、4度のリーグ制覇を達成した。

 そんな球団だからこそ、木田氏の歩んできた道は魅力的だ。86年ドラフト1位で巨人入団。98年オリックスへ移籍し、翌99年にはFA権を行使して、大リーグのタイガースに入団。その後もオリックスを一度経由して、1年間の浪人生活を経て再びドジャース、マリナーズでプレーした。05年からは日本に戻ってヤクルト、日本ハム、そして石川。セ、パ両リーグの野球を知る一方で戦力外も味わい、米国ではメジャーもマイナーも経験した。そして独立リーグの事情にまで精通している。

 さらに石川での木田氏は「GM」の実務経験もある。「育成方針」「日程管理」「契約交渉」に加え、「イベント企画」「スポンサー回り」の営業にも率先して取り組んできた。日本ハムは来季で北海道移転12年目を迎える。小学生時代を札幌で過ごした木田氏の存在は、地域密着を推進する球団方針にも合致する。日米通算74勝、51セーブ。世界基準を知る「GM補佐」の誕生だ。

 ◆木田 優夫(きだ・まさお)1968年(昭43)9月12日、東京都国分寺市生まれの46歳。日大明誠(山梨)から86年ドラフト1位で巨人に入団。90年に球団史上最年少でセ・リーグ最多奪三振。98年にオリックスへトレード移籍し、同年オフに大リーグ・タイガースへFA移籍。その後、オリックス―ドジャース―マリナーズ―ヤクルト―日本ハムを経て13年からBCリーグ・石川でプレーし、今季限りで現役引退。右投げ右打ち。1メートル88、95キロ。血液型A。

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