済美・安楽 弔辞でプロ宣言「それが僕にできる最高の恩返し」

[ 2014年9月5日 05:30 ]

弔辞を読み終え一礼する安楽

 2日に胆管がんのため死去した愛媛・済美高監督の上甲正典氏(享年67)の葬儀・告別式が4日、愛媛県松山市内の斎場で営まれた。約1200人が参列。13年センバツの準優勝投手で今秋ドラフト1位候補の安楽智大投手(17)は、弔辞で涙ながらにプロ志望の決意を示した。

 「監督さんに託された夢を実現し、監督さんのためにプロ野球で活躍します。それが僕にできる最高の恩返しだと思います」

 これまで進路については明言していなかった右腕。この文言は当初、予定していた弔辞には入っていなかった。入学前に亡き恩師と交わした約束は、(1)甲子園優勝(2)160キロ(3)ドラフト1位でのプロ入り――だったという。「2つの目標は果たせなかったのですが、今、3つ目の目標に向かって歩んでいます。160キロにも挑戦し続けます」と誓いを立てた。棺を運ぶ際には両肩を震わせて号泣した。上甲監督を乗せた霊きゅう車は学校前を走行。両手を合わせて頭を下げる安楽はまだ泣いていた。今後は両親と野球部部長らとの面談を経て、早ければ今月中旬にもプロ志望届を出す。最愛の恩師とのつらい別れを乗り越え、プロの世界へ挑む。

 ▼安楽弔辞全文

 監督さん。監督さんを日本一の監督として、甲子園で胴上げをしたかった。

 入学した時、監督さんと、三つの約束をしましたね。一つは、甲子園優勝。二つ目は、球速160キロを出すこと。三つ目は、ドラフト1位でプロ野球にいくことでした。その二つの目標は果たせなかったのですが、今、三つ目の目標に向かって歩んでいます。監督さんと約束をした球速160キロのボールにも挑戦し続けます。

 監督さんとの3年間、数えきれないほどの思い出があります。東京の病院まで、肘の治療に二人で行ったこと。監督さんは、いつもご自分の体のことよりも僕の体のことを真っ先に考えてくださいました。たとえ体調が悪くても、何一つ辛そうなそぶりを見せず、僕たち選手に、命がけで向き合ってくださいました。

 返事、あいさつ、目配り、気配り、心配り、これは監督さんが大切にされている言葉でした。野球選手としてだけでなく、社会に出ても通用する人間に、という考えからでした。

 ユニホームを着ている監督さんは、とても厳しい顔で僕たちを指導してくださいました。しかし、ユニホームを脱ぐと、いつも笑顔が絶えませんでしたね。サウナに連れて行ってくださった時は、その場で「スクワット30回」と、冗談交じりでおっしゃいました。グラウンドとは違った表情でした。もう一度だけでいいから、一緒にサウナに入り、冗談や笑い話を聞きたいです。

 入学してから3年間、毎日夜遅くまで厳しくも温かく指導していただきました。監督さんの教え子で本当に良かった。ここまで上達し、人間的に成長できたのも、上甲監督さんに出会えたからです。

監督さんに託された夢を実現し、監督さんのためにプロ野球で活躍します。それが僕にできる最高の恩返しだと思います。

「今頑張れば花が咲く」、「夢叶うまで挑戦」。監督さんにいただいたこの言葉を胸に刻んで、これからも、選手一同精進していきます。

 監督さんのトレードマークである笑顔は、僕たち済美高校野球部員はもちろん、多くの人が忘れることのできないものです。もう一度、あの笑顔が見たい。心からそう思います。

 監督さん。空の上から、僕たちの成長を、笑顔で見守ってください。

 上甲監督さん、どうか、安らかにお眠りください。

 済美高校 安楽智大 

 ▽主な参列者 馬淵史郎(明徳義塾監督)、高嶋仁(智弁和歌山監督)、沢田勝彦(北条監督)、西谷浩一(大阪桐蔭監督)、森士(浦和学院監督)、大野康哉(今治西監督)、福島敦彦(元報徳学園監督)、橋本将(宇和島東OB、元ロッテなど)=順不同、敬称略=

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