「死球王」金森監督、故郷で奮闘中!指導資格回復「一期生」の挑戦

[ 2014年4月29日 11:15 ]

試合を終えナインにアドバイスをする金沢学院東・金森監督

 元プロ野球選手で、西武、阪神などで活躍した金森栄治氏(57)が1日付で故郷・石川県の金沢学院東高の野球部監督に就任した。「死球王」の異名を取る一方で、1983年の日本シリーズで巨人・江川卓からサヨナラ打を放ってチームを日本一に導くなど、ファンにとって印象深かった同氏。プロ野球経験者が高校、大学での指導資格を短期間で回復できるよう、昨年7月に施行された新たな研修制度の「第一期生」として今年1月に資格を得た。同校とは3年契約で、金森氏の「甲子園への道」を追った。

 金森氏にとって、今回のタイミングでの監督就任は予想外だったという。「まさか、ですよ。早大在学中に保健体育の教員免許を取得していたから、なんとなく指導者になりたいとは思っていたけど。この年で高校野球の監督になるとは思わなかった」

 1月に資格を回復。ヤクルトの打撃コーチ時代に、名将・野村克也監督をして「あいつはベンチにいてくれるだけでいい」と言わしめた同氏の卓越した野球理論、指導力に着目した金沢学院東から3月10日、監督就任を打診された。「故郷で高校球界に恩返しができるなら」と受諾。今月1日、57歳の新人監督が誕生した。それから1カ月もたたない20日、春季大会初戦を迎えた。結果は北陸学院に0―1で敗戦。競った展開の中で3失策を記録した。プロとは違い、一発勝負の高校野球。必要以上に気負う選手を目の当たりにし、「試合になると持っている以上のものを出そうとしていた」と振り返る。

 プロのように普段通りの力を出すすべを球児は知らない。だからこそ体力、習熟度に合わせて表現や指導方法を工夫していきたいという。野球の上達に近道はない。結果は求めるものではなく、ついてくるもの。だから、口酸っぱく伝えるのは「基本が大事」ということだ。児玉慶喜主将(3年)も「打撃では腕を締めて、腰で打てと何度も繰り返し言われる」と話す。

 一方でエースの工藤隆朗投手(3年)が一時期、制球を乱していたことで、あえて他の選手の前で「球をコントロールする前に心をコントロールしろ」との言葉を投げかけた。翌日から工藤は球場に一番乗りするようになり、北陸学院戦では完投した。また、ある時は控え選手が「ボディーターン(バッティングの際の体のねじれ)ってどうやるんですか」と尋ねてきた。すぐに目の前でスイングをさせ、身ぶり手ぶりで教えた。すると練習試合でサイクル安打を記録。「その話を聞いて、本当にうれしかった」。高校野球の監督としての喜びだった。

 自身の生活は一変した。学校近くに居を構え、単身赴任。教員免許は取得後30年以上経過しているため失効中。30時間の更新講習を受けないと教べんは執れないため、現在は職員として勤務し、スーツ姿でデスクワークに当たる。野球部のある高校は全国で4000余りあるが、プロOBの母校となると600校に満たない。金森氏のように故郷から招へいされるのは幸運というべきで、すぐに受け皿があるとは限らないのが現状だ。それだけに「毎日起こること全てが新鮮。きついし、自分の時間はないけれど生き生きしている。凄く楽しい」とその表情は充実感にあふれる。

 今後も多くの元プロが高校野球指導に携わることが予想される。今でも「教員監督が教える場が奪われる」「最大の懸念はお金の問題。“監督屋”みたいなのは困る」という高野連関係者の声も根強く残る。だからこそ、「教育者」としての側面は強く求められる。

 金森氏も目標を「甲子園出場」に掲げながらもこう言う。野球を通じて礼儀、マナー、ルールといった人間の基本を教えていきたいと。「野球と子供が好きじゃないとなかなかできないでしょうね。先生は本当に大変だと痛感している」。想像以上に神経の細やかさを求められる職業。「去年10キロ減量してまた増やそうかと思ったけど、太れないね」と苦笑し、いつの日か、教員免許を更新して教壇に立つ姿も視野に入れている。

 「金沢学院東で野球をしたいという生徒がたくさん集まってほしい。部員が100人超えてもいい。そんな野球部にしたい」。挑戦はまだ、始まったばかりだ。

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2014年4月29日のニュース