悪質タックルに小倉監督「死んじゃうよ」 ラフプレー禁止への道

[ 2012年12月20日 12:00 ]

9月7日の米国戦、7回無死二、三塁、一ゴロで本塁に突入した走者に突き飛ばされ負傷した森

野球人 小倉全由高校代表監督(上)

 9月7日のソウルの夜は今までになく寝付きが悪かった。思い返せば返すほど、腹の虫が治まらない。何度もあの場面が脳裏をよぎった。

 「米国野球の素晴らしさは感じているけど、ラフプレーだけは絶対に納得がいかなかった。あれが米国の野球と言ってもらいたくない。世界共通であんなプレーがあっちゃいけない」。初めて高校日本代表を率いた小倉監督(日大三)にとって、「野球」と「ベースボール」の違いを思い知らされた象徴的なシーンがあった。

 勝てば決勝進出が決まる18U世界野球選手権2次ラウンド最終戦の米国戦。問題の場面は5―4の7回無死二、三塁で起きた。米国の三塁走者マグワイヤが一ゴロで1メートル83、82キロの巨体を揺らし、1メートル70、78キロと小柄な捕手・森(大阪桐蔭)にタックルを見舞った。明らかにアウトだったにもかかわらず、だ。

 その後も1メートル92、94キロのアブレイユに再び森がタックルを受け逆転を許す。見かねた小倉監督は猛抗議したが、判定は覆らない。その後の走者三塁の場面では、本塁に間に合うタイミングの内野ゴロでも一塁への送球を指示。森が3度目の悪質タックルの標的となることを避けるため、指揮官は苦渋の決断をした。

 試合後の会見。温厚な小倉監督が珍しく語気を強めて訴えた。「ルールを作ってくれないと、あれじゃ死んじゃいますよ」。米国―カナダの決勝でもアブレイユが再びカナダの捕手にタックルして今度は退場処分を受けた。国際野球連盟(IBAF)の12、15歳の大会ではタックル禁止のルールは明記されているが、18歳の大会にはない。アブレイユの退場は審判独自の判断によるものだった。

 小倉監督の熱い訴えはIBAFを動かした。9月中旬。IBAFの田和一浩副会長が日大三のグラウンドを訪れた。「私が“あのプレーは納得いきません”と言ったら“あれは乱闘になってもおかしくない行為だった。ルールに文章化してああいうプレーが絶対に起こらないようにする”と言ってくれたんですよ」。田和副会長が直々に訪問したのは、ルールに「タックル禁止」の条項を盛り込むことを約束するためだった。

 大会中には韓国の李正勲(イジュンフン)監督が「日本は圧縮バットを使用している」と挑発。しかし、小倉監督は「全部調べてもらえばいい」と冷静に対応した。その紳士的な対応にIBAF関係者から称賛の声が相次いだという。しかし、結果は5位決定戦で韓国に敗れて6位で終戦。大谷(花巻東)の不調が最後まで響く形となった。

 ◆小倉 全由(おぐら・まさよし)1957年(昭32)4月10日、千葉県生まれの55歳。日大三時代は副将で三塁コーチ。日大に進み母校のコーチを4年間務めた。81年に関東一の監督就任。88年に一時退任したが、92年に復帰。97年4月から日大三の監督。甲子園通算成績は歴代11位の32勝(15敗)。夏は2度優勝し、春は準優勝2度。社会科(倫理)教諭。

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2012年12月20日のニュース