諦めていた阿部 シリーズ出場秘話「日本の医学って本当に凄いよ」

[ 2012年12月14日 11:06 ]

懸命な治療で日本シリーズ第6戦に出場した巨人・阿部。7回にはチームを日本一に導く勝ち越し打を放った

野球人 巨人・阿部(上)

 日本列島が固唾(かたず)をのみ見守った日本シリーズ第6戦。最後も阿部が決めた。右膝裏痛で出場も危ぶまれた中、3試合ぶりに強行出場した主将が決勝の一振り。同点の7回に勝ち越し中前打を放ち、3年ぶり日本一に導いた。背番号10は、絶望と奇跡のはざまで揺れ続けた最後の5日間を静かに回想し始めた。

 「最初はね、本当に諦めちゃった。終わったわ~って」。激痛が右膝裏を襲った。敵地に移り迎えた第3戦。5回の第3打席で二ゴロに倒れ、その裏から退いたが、異変は2回の攻撃時に起こっていた。先頭で四球を選び、続く高橋由は一ゴロ。「二塁へ走る2歩目で来た。やばいと」。4回の守備を終え自ら交代を申し出ていた。傷だらけの下半身は限界だった。

 診断は右膝裏の筋膜炎。7月下旬に左足首を痛めてから、無意識にかばううちに「ケガが交互に重なってきた」。左足首→右膝→左足首→右ふくらはぎ→左足首→そして右膝裏。阿部はその晩、札幌へ応援に訪れた父・東司さんへ電話を入れた。「“今シーズンお疲れさまでした!!もう無理ですね…”と伝えた。親父は“そうか。いいよ、ここまできたんだから”と言ってくれたけど」。2勝1敗で迎えた佳境。悔しさをこらえきれず肉親にだけ弱音がこぼれ落ちた。

 翌朝、竹田毅チーム医師が飛行機で札幌入りした。患部は肉離れ手前で治療の注射は打てる、という判断だった。「肉離れしてたら施しようがなかった。筋膜になら打てると」。信頼を寄せるゴッドハンドの、ワンショットに懸けた。「全然違った。これ、もしかしたらいけるぞと」。すぐに直線のジョグで手応えを深めた。だが次に横の動きを入れると激痛が走った。その後も一進一退は続き、出番のないまま本拠地での第6戦に備えた移動日を迎えた。

 帰京するとかかりつけの治療院に駆け込んだ。特別な巻き方のテーピングで劇的に負担が軽くなると、その様子を撮影。風呂にも入らずそのままにし、翌朝も治療師の電気治療を受けた。錠剤と座薬で、今季飲み続けた痛み止めを流し込んだ。球団トレーナーに写真を見せその通りにテープを巻いてもらい、グラウンドに立った。そして打った。「試合中は痛みは感じなかった。日本の医学って本当に凄いよ」。人ごとのように語ったが、人事を尽くした執念を野球の神様は見放さなかった。

 自己最高のシーズンは、最高の形で幕を下ろした。だが、忘れもしない5月。自ら野球人生最大のミスと悔恨する悲劇が阿部を襲っていた。

 ◆阿部 慎之助(あべ・しんのすけ)1979年(昭54)3月20日、千葉県生まれの33歳。安田学園から中大に進み、00年シドニー五輪出場。同年ドラフト1位で巨人入団。新人で開幕スタメンを果たし、強打を武器に以後12年間正捕手を務める。今季首位打者、打点王でMVP、正力賞受賞。08年北京五輪、09年WBCも出場。1メートル80、97キロ。右投げ左打ち。

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2012年12月14日のニュース