引退もよぎった 20-21シーズン

 3度の手術を乗り越え、表舞台に戻ってきた。さらなる成長を追い求め、山本草太は大きな決断をする。19-20年シーズンの全日本選手権を終えると、中学時代から過ごしてきた名古屋を離れ、地元の関西へと練習拠点を変更。通っていた中京大は休学した。「〝何かを大きく変えなきゃ〟と。スケートを追求していきたい思いで、そういう考えに至った」。高みを目指し、最善策だと思って決めた。だが、待っていたのは苦難の連続だった。

 「関西に拠点を戻して戦ったシーズンだったけど、戻ってからも2回、移籍したりとか…。これまでと生活がガラッと変わり、精神的にも難しくて…。結果も出せず、凄く苦しいシーズンだった」

 中部選手権、西日本選手権は制したが、GPシリーズのNHK杯ではミスが相次ぎ8位。12月の全日本選手権でも9位と思い描く結果を手にすることはできなかった。既に中京大へと戻って1人で練習を開始していた中、心身ともに追い込まれ最悪の状態で迎えたのが、1月末の国体だった。

 SPは冒頭のフリップ、アクセルジャンプで点数が付かず、後半の3回転ルッツでも転倒した。スコアは43・38点。82・60点をマークした全日本選手権から半分程度の点数にとどまり、まさかの18位スタートとなった。

 「全日本で結果が残せず、そこから完全にチームを離れて1人で臨んだのが国体。〝チームをどこにしよう〟とか〝スケート人生はどうなっていくんだろう〟とか、1人で抱え込む時間が多くなって…。精神的に凄く難しくて〝もう試合に出たくないな〟と思っちゃうぐらいだった。SPは全ミスだったのに〝なんかまあいいや〟と思っちゃうぐらい、アスリートとしてのメンタルがなかった」

 翌日のフリーで2位と巻き返して総合8位で終えたとはいえ、気持ちの整理はついていなかった。

 「引退を考えたのは、ケガをした時以来でした。あの時は、もう競技ができないから引退しようと思ったけど、今回はまだ体は全然、大丈夫で。だから〝引退とかそんなの言ってらんないよ〟という気持ちも自分の中にはあって…。〝どう乗り切ろう〟という葛藤が続いていました」

全日本選手権は9位に終わる

GP東海クラブ 樋口コーチとの出会い

 深い悩みを抱えながら、2月以降も1人で練習する日々が続いた。さまざまなチームを探し、それでも答えが出なかった。あっという間に半年間が経過。悩み抜いた末に、最後は以前から気になっていたグランプリ東海クラブにお世話になることを決めた。

 「中京大を拠点に練習していたので(樋口)美穂子先生のレッスンや他の選手の演技を外から見られるけど、自分にどういうアドバイスをしてくれるか、試合にどう持っていってくれるかとかは分からない。スケート界は、体験やお試しのような形がないから、入ってみないと練習法や環境が分からないので。もちろん(拠点の)候補として考えてはいたけど、1人でずっと考えていたら何が何だか分からくなっていた。仲間や家族みんなに相談して、最後は母が〝グランプリ東海さんどう?〟と言って、それに合わせた感じです」

 ようやく新たな拠点が決まった。この時点で既に7月に入っており、出演が決まっていた「THE ICE」(7月31日~8月1日)が迫っていた。時間が限られている中、樋口美穂子コーチに新しいプログラムと振付をお願いしたが「練習する時間ないんじゃない?」と返ってきた。それでも頼み込み「それならSPだけ。フリーは長いし慣らすにも時間が掛かるから」と樋口コーチに言われても、首を縦に振らなかった。「今シーズン、SPとフリー両方で美穂子先生の振付で戦いたいです」。強い言葉に、笑みを浮かべた樋口コーチは「その強い気持ちがあれば大丈夫」とGOサインを出してくれた。

勝負のシーズン いざ世界へ

樋口コーチとの新コンビで今季に挑む

  最初のあいさつから、わずか1日でベースができあがった新たなプログラム。SPはビートルズの『イエスタデイ』に決まった。急逝した母を思い、ポール・マッカートニーが作ったといわれる名曲。苦労を重ねてきた山本のために、樋口コーチが用意したものだった。

  山本自身はなじみがない曲だったが、選曲に込められた新コーチの思いが胸にしみ入った。「振付を始める前に、先生が曲を持ってきた意味を伝えくれた。ケガのこと。去年、関西に拠点を戻したけどかみ合わずに苦しかったこと。〝凄く苦しい思いをしているイメージの選手が草太くん。それがイエスタデイの背景や歌詞に合っているから持ってきた〟と。そこから、僕と先生の感情を入れ込んで振付をできました」

 一方のフリーは、盲目のイタリア人テノール歌手、アンドレア・ボチェッリと中国出身のピアニスト、ラン・ランによる『これからも僕はいるよ』。山本自身が5つほど候補曲を挙げ、その中で樋口コーチとのイメージが合致したのがこの曲だった。「候補の中で、自分が一番良いと思っていた曲。先生に全て任せようと思っていたけど、先生も〝これがいい〟と言ってくれた時はうれしかった」と振り返る。

 樋口コーチのもとで滑り初めて3カ月程度だが、充実した日々を過ごしている。「振付だけじゃなくてジャンプや技術、スピンやステップも。精神面でも、1人の選手としてたくさんサポートして下さる先生なので。本当に良かった」。4回転ジャンプも取り戻した中、いよいよGPシリーズのスケートカナダ(29日開幕)を迎える。

 「自分自身、まだまだだなと思うところもあれば、大きなケガをして、平昌五輪のシーズンに何も届かない位置で戦っていたことを思えば…。こうやってまたトップで戦えていること、4回転も跳ぶことができていることは、奇跡だと思っているので。ここで戦えていることが頑張る源になって、自信にもなっている。今シーズン、ここからが勝負だと思っているし、スケートカナダや全日本。その先も…。最後まで戦い抜くことができれば、幸せかなと思います」

 笑顔を取り戻した山本草太。その喜び、そして重ねてきた苦しみも全て、氷の上で表現する。

◇山本 草太(やまもと・そうた)

2000年(平12)1月10日生まれ、大阪府岸和田市出身の21歳。6歳でスケートを始め、中学1年の途中に名古屋へ転居。ジュニア時代は世界ジュニア選手権で銅メダル、ユース五輪で金メダルを獲得。16-17年シーズンからシニアに転向した。19-20年シーズンの全日本選手権で7位。今季は4回転ジャンプをSPで1本、フリーで2本入れている。現在は中京大を休学中。1メートル73。血液型はO型。

▼山本草太選手×Unlim

新たな環境に身を置くことになった山本は、ファンから競技活動の支援金を募るスポーツギフティングサービス「Unlim」に登録した。 「スケートは凄くお金がかかるし、小さい頃から家族にも凄く苦しい思いをさせてしまっていた。普通なら今は大学4年生になっていて、今シーズン限りで引退して社会に出て行かないといけない。でも、〝まだ続けたい〟〝もっと成長したい〟という意欲がある」 一時は引退を考えていたが、モチベーションを取り戻して競技続行を決意。「サポートをして頂くだけじゃなく、僕からたくさん発信したい。ファンの方に何かを届けられるような演技をしたい」と言葉に力を込めた。

▼Unlim(アンリム)とは

ファンがアスリートやチームを金銭的にサポートすることを可能にするスポーツギフティングサービス。「活動資金の不安をなくしてパフォーマンスに集中したい」「自分だけではなく競技そのものを盛り上げたい」「スポーツを通じて社会貢献したい」など、アスリートたちの多様な思いの実現を目指す。対象アスリートは同サービスを通じて、ファンからの応援をメッセージだけでなく、金銭的支援という具体的な形でも受け取ることができる。現在、200以上のアスリートやチームが活用中。