【追憶の高松宮記念】00年キングヘイロー 11度目の挑戦で戴冠!いつも冷静な指揮官が男泣き

[ 2024年3月20日 06:45 ]

2000年の高松宮記念を制したキングヘイローと柴田騎手
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 ついに頂点に立ったキングヘイローとともに柴田善臣騎手が検量室前に戻ってくると、坂口正大師の目には、みるみる涙があふれた。

 「うれしいことで涙を流せる。幸せなことです。これが男泣き、というものですかね」。泣きながら、笑っている。大学教授のような風貌で、いつも冷静さを失わない坂口大師。その表情が、見たこともないほどクシャクシャになっている。周囲を囲んだ報道陣はグッときた。

 鮮やかな勝ちっぷりだった。2番手追走からいち早く抜け出すアグネスワールド。その内からディヴァインライトも迫った。外から来たのがキングヘイロー。最後の一完歩でしっかりと捉え切った。

 G1挑戦11度目での歓喜。父は凱旋門賞馬で欧州競馬の歴史でも屈指の強豪ダンシングブレーヴ。母は米G1を7勝したグッバイヘイロー。世界最高レベルの良血馬だ。「これだけの馬。タイトルを獲らせることは私の使命」。坂口大師は常に自らに言い聞かせていた。

 柴田善とのコンビも7度目。その腕を信頼していたが、パドックで坂口大師は名手にこうささやいた。「外から馬が来たら走るのをやめてしまうかもしれない。外に馬を置かずにレースしてほしい」

 距離ロスを覚悟の上での指示。秘策はピタリとハマり、キングヘイローは競馬をやめることなく最後まで伸び続けた。

 「一番いてほしくない馬が前にいました」。そう言って悔しがったのは2着ディヴァインライトの鞍上・福永祐一(現調教師)だった。

 98年ダービー。2番人気キングヘイローにまたがった福永はレース前、顔面蒼白だった。完全に雰囲気にのまれ、レースでは全く折り合えず14着大敗。同年の有馬記念(6着)を最後に主戦の座は柴田善へと移った。

 福永はダービーでの悔しさを胸に刻み、一流騎手への階段を必死に駆け上がっていった。

 そのキングヘイローがついにG1を獲った瞬間を、第三者として最も間近で見届けた福永。皮肉な巡り合わせだが、心のどこかで元相棒の戴冠を祝福したことだろう。

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