ウイニングチケット33歳大往生 93年クラシック「3強」は天へ…

[ 2023年2月18日 17:35 ]

93年の日本ダービーで覇を競ったウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシン(右から)
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 93年に日本ダービーを制したウイニングチケットが18日、疝痛のため死亡した。33歳だった。ナリタタイシン、ビワハヤヒデは20年にこの世を去っており、93年クラシックの「3強」は天国で駆ける。

 93年の日本ダービーは、掛け値なしの「3強」だった。

 「3強」には歴代、数あれど、3頭が4倍以下で4番人気(マイシンザン)が9倍と引き離されていた。皐月賞を強烈な末脚で制したのは武豊ナリタタイシン。それでも3番人気。ダービーまでオール連対のビワハヤヒデが2番人気。1番人気が皐月賞4着ウイニングチケット。後から振り返れば、よほど当時は馬券名人がそろっていたように見えるが違う。この年、44歳を迎える柴田政人のダービーVチャンスをファンが後押しした、いわばロマン要素があふれる人気順。ウイニングチケットを管理する伊藤雄二調教師(故人)はのちのことだが「93年の上位はレベルが高かった。3冠全部勝ちにいくと、全部失う恐れがあった。それなら最も力を入れるのはどこかと言えば…分かるやろ?」と報道陣にそっと舞台裏を明かしている。

 当日の東京競馬場は、まさにファンの声で揺れた。逃げるアンバーライオン、押し上げるビワハヤヒデ、ウイニングチケットは3コーナーから早めに進出。ナリタタイシンは直線勝負に懸ける。ウイニングチケットはやや早いかという先頭奪取。柴田政人のライバル岡部幸雄が駆るビワハヤヒデが内から忍びより、ナリタタイシンも猛烈な末脚を繰り出した。両ライバルを背中に感じながら、柴田政人は追って追って追いまくり、ビワハヤヒデを半馬身封じたまま歓喜のダービーVフィニッシュ。

 その瞬間、巻き起こる大歓声と「マ・サ・ト!」「マ・サ・ト!」のコールと拍手。

 しのぎを削ったライバルたちの元に引き上げてきた検量室。岡部幸雄も武豊も柴田政人に祝福の言葉と握手を求めた。悔しいが、政人なら、政人さんが勝ったのなら…。

 柴田政人は「ありがとう。長い道のりだった…。やっとダービージョッキーの仲間入りができた」と感極まっていた。「正直、もう勝てないかもしれないと思っていた」と前置きして「世界中のホースマンに伝えたい。私が第60回日本ダービーを勝った柴田政人です、と。そう伝えたいです」と語った。

 秋の菊花賞では、実力No・1と目されていたビワハヤヒデがついにG1戴冠(ウイニングチケット3着、ナリタタイシン17着)。ダービーの3強はクラシック3冠を分け合い、93年クラシックは長く語り継がれることになった。

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