【G1温故知新】2001年ジャパンCダート優勝 クロフネ

[ 2016年11月30日 06:00 ]

今でも“史上最強のダート馬”との呼び声高いクロフネ
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 G1の過去の勝ち馬や惜しくも力及ばなかった馬、記録以上に記憶に残る馬たちを回顧し、今年のレースの注目馬や見どころを探る「G1温故知新」。第8回は2001年のジャパンカップダートにおいて別次元の競馬を見せたクロフネを中心に、種牡馬フレンチデピュティを振り返る。

 2000年に創設され、2014年から「チャンピオンズC」にレース名が変更されたジャパンCダート。何となく味気のなさを感じる名称だが、そんな思いも回数を重ねれば消えていくのだろう。

 2001年ジャパンCダート、前年の記録を1秒3更新する2分5秒9のスーパーレコードで駆け抜けたクロフネ。彼や交流重賞を勝ちまくったノボジャックの活躍が呼び水となり、本邦輸入が実現した種牡馬と言えばフレンチデピュティだが、実のところ、フレンチデピュティが日本で種付けし、日本で誕生した産駒で中央のダート重賞を勝った馬は存在しない。それどころか、中央ダートG1に出走した馬でさえ、昨年のチャンピオンズC3着馬サウンドトゥルーだけだ。

 思い起こせば、クロフネを相手にNHKマイルCを勝ちかけたグラスエイコウオーもフレンチデピュティ産駒のマル外だった。しかし、同馬も重賞勝ちはなく、2003年のジャパンCダートに出走したが15着惨敗に終わっている。

 グラスエイコウオー以降、フレンチデピュティ産駒の中央ダートG1出走はしばらく途絶える。その3年後の地方G1ジャパンダートダービーを制したフレンドシップのような産駒もいたが、同馬も中央での実績は残せなかった。日本で誕生したフレンチデピュティ産駒の中央G1馬はピンクカメオ(07年NHKマイルC)、レジネッタ(08年桜花賞)、アドマイヤジュピタ(08年天皇賞・春)、エイシンデピュティ(08年宝塚記念)の4頭と、全て芝で戴冠。昨年のチャンピオンズC3着、暮れの東京大賞典で初G1制覇と、ダート路線で活躍するサウンドトゥルーを生み出すまでには長い時間を要した。

 加えて“史上最強のダート馬”クロフネ誕生の経緯そのものが、いくつかの偶然によるものだということを忘れてはいけない。

 01年…いわゆる“クラシック門戸開放元年”における外寇をイメージして名付けられたクロフネ。それだけに、日本ダービー制覇は彼にとって最大の使命であった。だが、NHKマイルCからの一気の距離延長がたたったのか、あるいはジャングルポケットらが強すぎたのか、最も勝ちたかった舞台で彼は5着に屈してしまう。

 管理する松田国英調教師は敗因を“距離の壁”と判断したようで、秋は天皇賞へと向かうことになる。当時、テイエムオペラオーが盤石の地位を築いていた古馬王道路線への挑戦だ。ところが、出遅れた神戸新聞杯で3着に終わり賞金を加算できず、秋天の外国産馬枠(2頭)を獲得賞金額で上回るメイショウドトウ、アグネスデジタルに奪われてしまうのである。

 一転、ローテーションが白紙となったクロフネだったが、秋天前日の武蔵野Sに急きょ出走し、ワンサイドゲームを演じたことで道が開けた。続くG1ジャパンCダートを脂の乗り切った武豊の手綱で、前走の勢いそのままに圧勝。翌年には世界最高賞金競走・ドバイワールドCを目標とすることが決定していた。ところが、間もなく右前脚に屈腱炎を発症して引退。あっけない幕切れが彼の存在をより“神格化”させた。

 もしクロフネが日本ダービー一本に絞ったローテを歩んでいたら、もし01年ダービーの馬場が荒れていなかったら、もしクロフネが神戸新聞杯で勝っていたら、もしアグネスデジタルが急きょ秋天に参戦しなかったら、そして、もしクロフネが血統の額面通り初めからダート戦を使われていたのなら…。

 いくつもの“if”を抱えたクロフネの生涯。さらに付け加えれば、もしも同じフレンチデピュティを父に持つアドマイヤジュピタやエイシンデピュティがダートにこだわっていたら…日本の競馬の歴史は多少なりとも変わっていたかもしれない。フレンチデピュティは、そんなことを想像させる種牡馬だ。

 今年のチャンピオンズCをサウンドトゥルーが制すれば、クロフネ以来15年ぶりのフレンチデピュティ産駒による制覇となる。ジャパンCダートからチャンピオンズCに名称も変わり“伝説樹立”から15年の時を経た今、6歳セン馬サウンドトゥルーは再びダート戦での父の金看板を輝かせることができるだろうか。

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