武豊泣いた…父・邦彦さん葬儀 400人がお別れ

[ 2016年8月16日 05:30 ]

<武邦彦さん告別式>親族代表のあいさつで涙ながらに父の偉大さを語る武豊

 12日に肺がんのため77歳で亡くなった元JRA騎手・調教師の武邦彦さんの葬儀・告別式が15日、滋賀県草津市内で営まれ、400人を超える関係者が参列し別れを惜しんだ。永遠の別れに三男・豊(47)、四男・幸四郎(37)の兄弟ジョッキーは涙を流した。

 「あなたは<名人タケクニ>として上質なドラマをいくつもターフに提供してくれました。正真正銘の勝負師でした」。生前、武邦彦さんと関係が深かったメイショウの冠名で知られる馬主・松本好雄氏の弔辞の声が響くと、会場のあちこちからすすり泣きが聞かれた。

 タケホープでハイセイコーを破った73年菊花賞、トウショウボーイでテンポイントとしのぎを削った76年有馬記念…。数々の記憶に残る名勝負をつくり上げた「ターフの魔術師」との最後の別れを惜しんだ。

 さらに邦彦さんは楽しい酒が好きで、競馬開催日は全レースの競馬中継を見て“実況解説”していたことから「天国はお酒は飲み放題らしいですよ。天国にグリーンチャンネルを放映してくれるように、JRAにお願いしておきます」と語りかけると、優しい人柄をうかがわせる遺影の写真がほほ笑んだように見えた。

 この日、8月15日は終戦記念日。全国各地で追悼のサイレンが鳴る正午、告別式会場で焼香の列が絶え間なく続く。実は1945年、敗戦間際の7月14、15日にあった空襲を邦彦さんは故郷・函館で経験したという。当時、小学校にあがったばかりの少年だったが、空襲を覚えていると生前、語っていた。またひとり戦中を知る人物がこの世を去った。

 喪主の洋子夫人に代わりあいさつに立った豊は「今月になって容体が悪化しました。ある程度、覚悟はできていたが現実になると悲しいです」と語ると涙がこぼれた。最後は声を振り絞り「残された家族は父の示した道を歩んでいこうと思います」と結んだ。幸四郎も出棺前の献花の場面で涙をこらえきれず、いつまでも父の顔をじっと見つめていた。

 「騎手」として、「調教師」として昭和・平成の競馬を彩った象徴はこの世に別れを告げた。「父」として残した2人のジョッキー。常に優しく、そして騎手界全体のことを考えていた偉大なホースマンの残したDNAを、武兄弟が継承していく。

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