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宮崎 判定で新王者!かつての“ワル”母に感謝「夢がかなった」

[ 2013年1月1日 06:00 ]

8回、ポンサワン(左)に強烈なアッパーを浴びせる宮崎

WBA世界ミニマム級王座決定戦12回戦 ○宮崎亮 判定 ポンサワン・ポープラムック●

(12月31日 大阪・ボディメーカーコロシアム)
 強気な宮崎が涙でくしゃくしゃになった。井岡会長、一法トレーナーの肩に乗ってリングを1周する間、何度もグローブで目をぬぐった。

 「ボクシングをやっていて夢でしたから。それがかなってうれしいです」。3回の左カウンターフックでリズムをつかんだ。その後も左のボディー、フックのコンビネーションが決まる。中盤はポンサワンの反撃に「しつこかった」と苦しんだが、11回に「ダラダラしていた。行かないとポイントを取れない」と目覚め2―1の判定勝ち。勝ちを付けた2人は大差だった。

 盟友であり、ライバルの背中にようやく追いついた。井岡とは興国高の同学年だった。今回、井岡が階級を上げたことで訪れたチャンス。これまでのうっぷんを拳に込め自らの実力を証明した。

 筋肉質な体から減量に苦しみ、かつて脱水症状で倒れるまでサウナルームで汗を流したこともあった。今回は主戦場のライトフライ級より軽いミニマム級。4カ月かけて地道に体重を下げたが「パワーが意外と出なかった」とダウンを奪えなかった。その点に悔しさを見せ、「今回はテストマッチ。戦えることが確認できた」と防衛戦での強打を約束した。

 中学時代に鑑別所で過ごしたことがある札付きの“ワル”は、リング上で女手一つで育ててくれた母・恵美子さんに「産んでくれてありがとう」と感無量の面持ちで感謝の言葉を口にした。

 【宮崎―ポンサワン戦VTR】宮崎が中盤以降、激しい打ち合いになった試合を判定で制した。4回にはポンサワンの右の強打で脚がぐらつき、その後もコーナーに追い詰められる場面もあったものの、終始手数では劣らなかった。終盤は相手のスタミナが切れたこともあって盛り返した。11回には左アッパー、左フックなど強烈な連打で攻勢に出て、有効打でも上回りポイントを得た。

 ◆宮崎 亮(みやざき・りょう)1988年(昭63)8月20日生まれ、大阪府堺市出身の24歳。中学3年でボクシングを始め、興国高で井岡一翔と同級生。2年時にフライ級でインターハイ優勝。06年12月プロデビュー。09年10月に日本ライトフライ級王座。10年6月東洋太平洋同級王座。1メートル55。右ボクサーファイター。

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