【駒田徳広 我が道9】そういうのは嫌だった 直訴して投手は2日で終了

[ 2026年5月9日 07:00 ]

1年目の宮崎キャンプでは連日、一塁で特守を受けた
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 巨人の合同自主トレ2日目。ブルペン投球を終えて2軍投手コーチの木戸美摸(よしのり)さんに聞いた。

 「本当に僕、ピッチャーやるんですか?」

 まだ投手でやるか野手でやるか決まっていない。2日間、投手の練習をやらされていると感じて確かめたのだ。木戸さんはこう言われた。

 「藤田(元司)監督が“1メートル90もある左ピッチャーはなかなかいないから、1年間やらせよう”と言ってるんだ。先は長いんだぞ。1年やってダメなら野手でいいじゃないか」

 そういうのは嫌だった。

 「ピッチャーを1年やって野手に。ピッチャーでダメだったやつというレッテルを貼られた選手が大成するとは僕には思えないんです。やるんだったら最初から野手でやらせてください」

 そう直訴すると、木戸さんは藤田監督のところへ聞きに行ってくれた。その結果は――。

 「監督は“じゃあ野手でやらせろ”と言われたよ」

 藤田監督はちょっとムッとしながら、認めてくれたらしい。晴れてプロでの投手は2日間で終了。いったん奈良に戻って桜井商の期末試験を受け、再合流してから野手として本格スタートを切った。

 キャンプは当然2軍。一塁手として毎日特守でしごかれた。今考えたら1年目でこんなにやったらつぶれるでってくらいやった。2軍の守備コーチは上田武司さんと山本和生さん。連日ノックを見舞ってもらった。

 打撃はキャンプの第1クールが終わったくらいで引退してコーチになられた原田治明(はるあき)さんにめちゃくちゃバットを振らされた。延々と振り続けたら、手が開かなくなる。顔を洗うのも顔を手に近づけていかないと洗えなかった。

 連日の特守と特打。よく壊れないなというくらいの練習をこなした。体が強いのは自信になった。

 当時、2軍の一塁手はのちにスコアラーとして活躍される三井康浩さんくらいしかいなかった。イースタン・リーグはチーム70試合中62試合に出場。ほぼレギュラーとして使ってもらった。

 打撃成績は打率・190、3本塁打、18打点。全くダメだった。いろんな方にアドバイスしていただいて、ああ打とう、こう打とうと思っても何もできない。でも、生意気だった。2軍監督の国松彰さんとこんな会話をさせていただいたことがある。

 「皆さん、“もっと上から打って”って言われるんですけど、もうちょっと地面に対して平行に打って、振り遅れてもレフトに二塁打とか三塁打になるというのはいけないんですか?」

 「それは悪くない」

 「じゃあ、なんで引っ張らせたがるんですかね?」

 「お前、そういうことも考えてるのか」

 考えてもしっくりいかないのがもどかしかった。

 ◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。 

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