【センバツ】大阪桐蔭 最多タイ春5度目V 新怪物・川本晴大が毎回15K完投 2校目の春夏10度目頂点

[ 2026年4月1日 05:00 ]

第98回選抜高校野球大会最終日・決勝   大阪桐蔭7―3智弁学園 ( 2026年3月31日    甲子園 )

第98回選抜高校野球決勝<智弁学園・大阪桐蔭>優勝し、歓喜の川本(中央)ら大阪桐蔭ナイン(撮影・五島 佑一郎)  
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 大阪桐蔭が智弁学園(奈良)を7―3で下し、22年以来4年ぶりの優勝を飾った。史上最多タイの5度目、春夏通算では史上2校目の10度目の頂点。先発の川本晴大(2年)が、15奪三振3失点で完投し、選抜決勝史上初となる2年生の「2桁奪三振&完投勝利」を毎回奪三振で達成した。9回決着の決勝での15奪三振は1925年松山商(愛媛)の森本茂に並ぶ史上最多となった。

 今春の主役は一目瞭然、歓喜の輪の中でも頭一つ大きかった。9回2死一塁。大阪桐蔭の川本は、直球での空振り三振で15奪三振目を刻むと、誰よりも高く左拳を突き上げた。「三振で終わりたいと思っていました。うれしすぎてやばかったです」。1回戦で14奪三振完封と鮮烈な聖地初登板を飾ってから7日後。春夏通算10度目の優勝までもたらした。

 小1の頃、学校が苦手で登校できない日もあった。「心を強く持って」と願う両親が野球を始めることを提案した。ユニホームを着ると不思議と勇気が湧いた。「打席に立てたじゃん。学校も行けるよ」。そう両親に励まされ、野球も学校も好きになった。新怪物も野球に救われたのだ。

 埼玉出身ながら、小3の18年に大阪桐蔭の春夏連覇を見て「この高校に行く」と両親に伝えた。それから父・真大さん(37)と夜遅くまで連日の練習が始まった。悔し涙を流した日も父から平然と言われた。「桐蔭に入りたいならこれぐらい練習しないといけない」。私服は大阪桐蔭カラーのえんじ色ばかり。憧れの高校に入るためなら努力できた。

 同校の入寮前日、家族で初めて甲子園を訪れた。球場見学でバックスクリーンからグラウンドを一望し、目を丸くしていると父から伝えられた。「帰ってこられるように頑張れよ」。それから、わずか1年。選抜決勝の先発に立った。3―2の6回に高校での初被弾を許しても崩れない。7回の登板前に西谷浩一監督から「最後までいかせる」と託され、150球を投げ抜いた。同じ2年生当時の84年PL学園(大阪)・桑田真澄が選抜決勝で記録した14奪三振を超えるなど、「史上最強の2年生」となった。

 昨年12月、西谷監督は選手に「大阪桐蔭にとって2020年代が大事になる。この選抜で10度目の日本一を獲ろう」と伝えていた。20年代の甲子園優勝は22年春のみ。岐路に立たされていた名門を、新怪物が再び輝かせた。 (河合 洋介)

◇川本 晴大(かわもと・はると)2009年(平21)9月9日生まれ、埼玉県飯能市出身の16歳。小1から野球を始めて投手。飯能一中では武蔵嵐山ボーイズに入団し、東京城南ボーイズに転籍。大阪桐蔭では1年秋から背番号11でベンチ入り。50メートル走6秒8。1メートル92、95キロ。左投げ左打ち。

《データ》
◆史上初の快挙
 ◯…大阪桐蔭・川本晴大が、選抜決勝で15奪三振3失点完投勝利を挙げた。選抜決勝で2年生投手による2桁奪三振&完投勝利は史上初(1948年学制改革以降)。選抜決勝で2年生投手が毎回奪三振で勝利するのも史上初(同)。84年桑田真澄(PL学園=8回完投14奪三振、毎回奪三振)は敗戦投手だった。また、選抜決勝での15奪三振は、1967年吉良修一(津久見)の16奪三振に次ぐ歴代2位タイ。吉良は延長12回で達成し9回終了時は14。9イニング決着での15奪三振は、1925年森本茂(松山商)以来101年ぶり2人目の最多タイ。

◆中京大中京の11度に次ぐ
 ◯…大阪桐蔭が4年ぶり5度目の選抜制覇。中京大中京と並び、歴代最多タイとなった。また、春夏通算10度目の優勝は中京大中京11度に次ぐ史上2校目の2桁到達。

◆西谷監督は最多記録更新
 ◯…大阪桐蔭・西谷浩一監督は自身が持つ歴代最多記録を更新する通算75勝目。

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