【話題を呼んだドラフト会議 1】第1回のクジ引きは2人、指名順位を抽選、名球会7人輩出、荒川事件…

[ 2025年10月23日 14:05 ]

1965年、第1回ドラフト会議の風景
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 「プロ野球ドラフト会議supported by リポビタンD」が23日、都内のホテルで行われる。涙あり、ガッツポーズあり、珍事あり…これまでさまざまな“ドラマ”が生まれた「運命の一日」。過去に話題となったドラフトを振り返る。

 【1965年 第1回のクジ引きは2人】 プロ野球のドラフト会議は65年にスタートした。第1回は各球団が30人の希望選手名簿を作成し上位12人に番号をつけ提出。1位指名が重複した場合は抽選で決める方法だった。各球団が重複を警戒したため複数球団からの1位指名は田端謙二郎投手(電電九州=近鉄、広島)と森安敏明投手(関西=東映、サンケイ)の2人のみ。田端は近鉄、森安は東映が交渉権を得た。

 【1967年“いの一番”は慶大のエースだったが…】 希望選手名簿を提出する方法から指名順位を抽選で決める方法に変更された。このシステムは77年まで11年間続いた。予備抽選で1番クジを引いたのは南海で“いの一番”で慶大・藤原真投手を指名したが入団拒否となった。藤原は翌68年にサンケイから1位指名を受けプロ入りした。12球団合計で143人が指名されたが入団を拒否する選手も多かった。

 【1968年 名球会選手が7人も誕生】 山本浩司外野手(法大→広島)、有藤通世内野手(近大→ロッテ)、山田久志投手(富士鉄釜石→阪急)、東尾修投手(箕島→西鉄)、福本豊外野手(松下電器→阪急)ら名球会入りする選手が7人もいる大豊作だった。また、法大・田淵幸一捕手、明大・星野仙一投手は巨人入りを熱望していたが巨人1位は高校生の武相・島野修投手。田淵は阪神、星野は中日入りし打倒・巨人に燃えた。

 【1969年 荒川事件】 大洋は早大・荒川堯内野手を1位で指名した。同選手は事前に巨人かヤクルト以外は行かないと表明。結果的に強行指名となり、その後、形式的に大洋に入団し、トレードでヤクルトに移籍入団した。荒川は希望通りにヤクルト入りしたが大洋ファンとされる暴漢に襲われ負傷。左目の視力低下などの後遺症もあって1軍デビュー5年目の75年途中で現役生活にピリオドを打った。
 

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