【筑後鷹】育成13位ルーキー、塩士暖「野球で町を元気づけよう」故郷・石川への思い

[ 2025年9月16日 06:00 ]

タマスタ筑後のマウンドに立つソフトバンクの塩士
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 ソフトバンクの育成13位ルーキー、塩士暖投手(19)は、石川・門前2年の冬に最大震度7の能登半島地震で被災した。町を野球で元気づけようという意識が強くなり、塩士の投球には大きな変化が生じたという。支えになったのは、星稜を春夏通算25度の甲子園出場に導き、門前のアドバイザーを務めている山下智茂氏(80)の素質を高く評価した言葉。名将の言葉を信じて素質を開花させ、現在は支配下昇格を目指して奮闘中だ。

 2024年元日、石川県能登半島を最大震度7の揺れを観測する地震が襲った。高校2年生だった塩士は地震発生の時、石川県輪島市の自宅で家族と過ごしていた。

 「1年間、毎日、震度1、2の揺れがあって“そろそろ大きいのがくるかな”と話してたら、震度5強がきた。“こんなもんで良かった”と言いながら外に出たら、もっと大きいのがきた。地獄だった」

 家は傾いたが、立っているだけでも感謝したいほど町は変わり果てた。学校は休みになり、部活も休止に。被害が小さかった後輩の家に3カ月ほど避難して、練習できる環境は確保できた。この経験が、塩士を変えた。

 中学から野球を始めた塩士は、3年生になっても主力選手ではなかった。しかし、素質を見抜いた“恩人”がいる。星稜で監督を務め、松井秀喜らを育てた山下智茂氏だ。門前野球部の体験会に参加した際、同校でアドバイザーを務める山下氏から「君は3年後に投手としてプロに行けるから」と告げられた。本人はプロの世界は全く視野になく、周囲からは笑われもした。

 門前入学時は外野手で、1年冬から投手の練習を開始。2年春からマウンドに立ったものの、どれだけ投げても打たれ続け「バント処理も分からない状態。ただストレートだけを投げていた」と振り返る。仲間からは「塩士が投げたら終わらない」と言われ、家への帰り道で涙があふれることもあった。投手をやめたいとも考えたが、山下氏から告げられた“投手としての可能性”を胸に腕を振り続けた。くじけそうになりながらも登板を続けていた矢先に起きた地震。「野球で町を元気づけよう」という意識が強くなり、夏前に球速、球威ともに上がるなど才能が開花し、プロ注目の存在となった。そして、24年10月24日のドラフト会議でソフトバンクから育成13位指名を受けた。

 12球団で最後に名前を呼ばれた右腕がルーキーイヤーの8月に柳田、今宮、栗原と対決するとは誰が想像しただろう。腹直筋の張りで離脱していた塩士と3選手の実戦形式の練習再開のタイミングが重なり、ライブBPで対戦することになった。2打席ずつ投げて計31球、ヒット性の当たりは1本だった。登板直後には「当てなくて良かった」とほっとした表情を浮かべ、「ストレートでファウルや空振りを奪えたのは自信になった」と貴重な経験を振り返った。直球は自己最速を2キロ更新の149キロを記録するなど、数字面でも成長を実感できた。

 「支配下登録と1軍定着」が将来的な目標だ。まずは来季「アピールをして2軍定着をつかみたい」と意気込みを語る。自信がついた直球を武器に勝負を続ける。 (昼間 里紗)

 ≪今宮&栗原から賛辞≫
 ○…8月のライブBPで塩士と対戦した今宮は「(球速が)140キロという感じではなかった。ほんとに良かった。投げっぷりも良かった!」と賛辞を贈った。栗原は「独特。途中からスピードが上がってくるような球質。高めで空振りやファウルを取れるピッチャー。凄いなと思う」と素質を高く評価していた。

 ◇塩士 暖(しおじ・だん)2006年(平18)5月18日生まれ、石川県出身の19歳。中学1年から野球を始める。門前では甲子園出場なし。24年育成ドラフト13位でソフトバンクに入団。背番号152。1メートル85、74キロ。右投げ右打ち。

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