日産自動車九州、今年から企業チームとして再スタート 社会人野球に「NISSAN」が帰ってくる

[ 2024年2月14日 06:00 ]

日産自動車九州でも引き続きプレー予定の東(左)と監督に就任予定の植山さん(撮影・杉浦 友樹)
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 NISSANの文字が社会人野球に帰ってくる――。クラブ登録の苅田ビクトリーズとして活動していた日産自動車九州が今年から企業チームとして再スタートを切る。ダイエー(現ソフトバンク)で“炎の中継ぎ投手”という異名のもと活躍し、31歳の若さで病気のため死去した藤井将雄さんを送り出した名門。藤井さんと現役時代の同期で、苅田ビクトリーズを率い、新チームでも監督に就任予定の植山文彦さんは魂を受け継ぎ、全国進出を誓う。

 苅田町にある練習場のホワイトボード。3月の予定を見ると、さまざまな大学と練習試合を実施する予定が書き込まれている。苅田ビクトリーズの監督で日産自動車九州も指揮する予定の植山さんは「こんなにオープン戦をするのは久しぶり。ビクトリーズでは週に1回しかできなかったから」と感慨深い表情を浮かべる。

 86年に創部し、都市対抗6度、日本選手権に9度出場した名門は日産自動車の経営合理化の一環で09年から休部。その後は「苅田ビクトリーズ」と名前を変えてクラブチームとして長年活動してきたが、全員が集まって練習できるのは週に1回程度だった。

 昨年9月に日産自動車の「企業スポーツは、従業員や家族らの士気を高め一体感を醸成する力がある」という考えのもと今年に入って活動を再開。選手の陣容は後日公開されるが、多くは苅田ビクトリーズから引き続きプレーをする。平日は午後3時ごろまで各職場で仕事をし、その後全員で練習する日々が帰ってきた格好だ。

 スピリットを語り継ぎNPBに選手を送り出す。植山さんは87年に日産自動車九州に入社。同期にはダイエーで中継ぎとして活躍し、31歳の若さで病気のため亡くなった藤井将雄さんがいた。選手として8年間ともにプレーした。藤井さんは94年にチームを初の都市対抗へと導くなど、チームを引っ張った。

 ダイエーでは中継ぎ投手として99年には26ホールドを挙げて優勝と日本一に貢献。告別式では弔辞も読んだという植山さんは「気持ちを込めて投げるタイプだった」と回想。「選手にもそういう話をしながら。プロに行くのはこうだったと。目指している子も何人かいるので」と“炎の中継ぎ投手”と呼ばれた男の歴史を伝える。

 社会人の2大大会はともにベスト8が最高成績。4月に入ると予選が始まり、シーズンは本格化する。既に社内では応援団復活が決まるなど、ムードは高まっている。植山さんは「まずは全国に行かないと。ゼロのチームではないので1年目から勝負。結果もそうだし、チームの骨格をつくりたい」と語った。名門復活を結果で示すべく、勝負はもう始まっている。 (杉浦 友樹)

 《ビクトリーズで主将東「一日一日が新鮮」》 ○…苅田ビクトリーズで主将を務めた東哲寛(九国大)は日産自動車九州でもプレーする予定だ。「こういう未来は全然想像していなかったので、一日一日が新鮮。準備の動きとか、声の大きさは前のチームと全然違う」と変化を感じている。普段は日産自動車の協力会社で車のグリル部品の検査などを担っている。「本当に周囲から応援されていると感じる。全国大会に出て成績を残せるようにやりたい」と恩返しを誓った。

 《九州“2強”に追い付け!!》 ○…九州の社会人野球はHonda熊本が頭一つリードしている。渡辺正健監督のもと、昨年は日本選手権で準優勝するなど着実に全国で結果を残している。追う一番手の西部ガスは昨年まで指揮を執った香田誉士史監督が退任。松薗史敏新監督のもと、前年同様「俺がやる」をスローガンに掲げアグレッシブで積極的な野球を目指している。植山さんは「失礼な言い方かもしれませんが、あとのチームは横一線だと思う。チャンスはある」と話していた。

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