横綱大関陣も恐れる宝富士の「左四つ」 ルーツは中学時代“鬼の反復稽古”

[ 2016年8月29日 09:37 ]

白鵬を小手投げで破る金星を挙げ、支度部屋で笑顔をみせる宝富士(2016年7月場所)

 自らの型「左四つ」を信じて磨き続け、大相撲界で着実に出世を果たしている力士がいる。しこ名は宝富士(29、本名・杉山大輔)。09年初場所に近大から伊勢ケ浜部屋に入門し、師匠(元横綱・旭富士)から「角界の宝になるように」と命名された。分厚くて硬い筋肉質の体を生かした四つ相撲を武器に10年秋場所で新十両、11年名古屋場所で新入幕と順調に出世。そこから足踏みはあったものの、昨年名古屋場所で新小結に昇進し、西前頭2枚目で迎えた先場所は横綱・白鵬を破るなど10勝5敗の成績を挙げ、29日に発表された秋場所(9月11日初日、両国国技館)の新番付で新関脇の座を射止めた。

 いまや横綱大関陣も恐れる宝富士の「左四つ」のルーツは故郷にあった。生まれは青森県の津軽半島中央部に位置する中里町(現在は小泊村と合併して中泊町に変更)。「自然とまわしを締めていた」と相撲経験者の父・拓道さんの勧めで小学3年時から中学卒業まで地元の中里道場(現中泊道場)に通い詰めた。「ほぼ強制で泣いて行かない日もあった」と振り返るが、転機は中学2年時。中里道場の石川誠監督(当時)から「どっちが力が入る?」と四つの型を問われ、左四つを選択した。すると「今日からこの練習だ」とその日から突如、鬼の左四つ反復稽古が始まった。石川監督らを相手に左を差してかいなを返して寄り切る動作をひたすら繰り返し、その後、小山内誠コーチ(現監督)にぶつかり稽古で泣くまで胸を出してもらった。「自分のために3、4人がかりで稽古をつけてくれた。左四つを覚えて強くなれた」と成果はすぐに現れ、夏の東北大会で3位に入り、中学3年で全国大会にも出場した。

 青森・五所川原商を経て入学した近大で左四つに磨きが掛かった。稽古中、伊東勝人監督に左手を突然つかまれて手首より先をテーピングでグルグル巻きに固定された。その手の形から稽古で胸を合わせた他の部員からは「ドラえもん」と呼ばれた。左はあくまでも差すためのもの。右で上手を握るしかない状況を強制的に作られ、左四つを徹底的に強化させられた。3年時に全国大学選手権で準優勝を果たすなど、杉山大輔の名は全国区となった。

 そしてプロ入り後。師匠の指導によってさらなる成長を遂げた。学生時代とは違い、簡単には得意の形を作らせてもらえない。「もっと強く当たれ!」「前みつを取って頭をつけろ!」。自分有利な体勢をつくるための過程について、現在も師匠から口酸っぱく言われ続けている。

 中卒大関の稀勢の里、高卒大関の豪栄道とは同学年。「大学まで行ったことは後悔していない。中卒や高卒でプロに入っていたら体ができてなくて、つぶていたかもしれない。自分のやる気次第だと思います。まだ30歳という気持ちで上を目指したい」。宝富士が左四つになれば、横綱大関を相手にしても何かが起こる。そんな場面が定着すれば、関脇より上の地位が見える可能性は十分にある。(鈴木 悟)

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