錦織 92年ぶり8強!2日がかり4時間19分フルセット制す

[ 2014年9月3日 05:30 ]

全米オープン男子シングルス4回戦、ラオニッチとの激戦を制して準々決勝進出を決めた錦織圭

テニス全米オープン第8日

(9月1日 ニューヨーク ビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンター)
 深夜の激闘で閉ざされていた壁をぶち破った。男子シングルス4回戦で第10シードの錦織圭(24=日清食品)は第5シードのミロシュ・ラオニッチ(23=カナダ)を4―6、7―6、6―7、7―5、6―4のフルセットで撃破。1日に始まった試合は4時間19分に及び、2日に日付をまたいだ終了時刻は大会記録に並んで最も遅い午前2時26分。日本男子では1922年の清水善造以来92年ぶりとなる8強入りを決め、3日か4日に予定される準々決勝は第3シードのスタニスラス・ワウリンカ(29=スイス)と対戦する。

 コート中央に仁王立ちした錦織が歓喜の声を上げた時、時計の針は2日の午前2時26分を指していた。1日の午後10時7分に始まった試合は4時間を超え、とっくに日付も変わっていた。しかし、深夜の会場で結末を見届けたことを後悔した者はいなかった。2人の激闘、そして勝者となった錦織へのニューヨークのファンの惜しみない拍手がそれを物語っていた。

 「驚きはあるけど勝てる相手だと思っていた。少しずつリターンでプレッシャーをかけられた」

 初めてのセンターコートの緊張感もあって序盤は硬さも見られたが、徐々に本来の姿を取り戻した。リターンゲームの獲得率は今季ツアー6位で、リターンは錦織の最大の武器。球を捉える感覚は天性の部分も大きい。子供の頃は学童野球の強豪チームに在籍。野球のコーチは言っていたという。「打つセンスはある。でも圭くんはボール球でも何でも打っちゃう」

 時速230キロを超えるラオニッチのサーブに飛びつき、高く弾むサーブには身をのけぞらせ、体勢を崩しても相手コートに沈めた。そうして徐々にリズムをつかんでいった。第3セットは8度のブレークポイントを生かせず、タイブレークも自らのダブルフォールトをきっかけに落とした。この悪い流れの中でも再びリターンに立ち返った。

 「エースを取られても気にしない。セカンドサーブを絶対に取ると思ってやっていた」。2カ月前のウィンブルドン4回戦でラオニッチに敗れた際はリターン成功率が46%も、この日は53%まで改善。足元に深く返して相手ミスを誘発した。強烈なサーブさえしのげば、ラリー戦では錦織が優位。35本のエースを決められても心は折れず、相手を追い詰めていった。

 今季からは元世界2位のマイケル・チャンさんをコーチに迎え、初のトップ10入りも果たした。「コーチに言われて、自分が思っている以上に自分のオフェンスゾーンは広いと分かった」。これまで以上に積極的に決定打を狙うテニスで今季はフェデラーに勝ち、ナダルを圧倒できるほどに成長。この日の終盤もラオニッチを右へ左へ翻弄(ほんろう)してみせた。

 4大大会8強は12年全豪オープン以来2度目だが、満足はしない。「なかなか喜べないですね、決勝に行くまでは。勝てない相手はもういないと思うので上を向いてやりたい」。午前3時30分の会見で大言壮語しない男が語った大胆な言葉。だからこそ、そこには確かな自信が詰まっている。

 ▽清水善造の1922年全米選手権(当時)8強 会場はペンシルベニア州フィラデルフィアで前年のウィンブルドンで4強入りしていた清水は、4回戦でワランス・ジョンソン(米国)をフルセットで破り8強入り。準々決勝では 4大大会通算10勝のビル・チルデン(米国)と対戦し、0―3でストレート負けした。同年は大正11年で、世界ではオスマン・トルコ帝国が滅亡。日本では11月に初の早慶対抗ラグビーが行われた。3月には画家の山下清が、5月には小説家の瀬戸内寂聴さんが誕生している。

 ≪最遅タイの午前2時26分終了≫午前2時26分に終わった錦織対ラオニッチは、全米オープンで史上最も終了時刻の遅い試合となった。同じ時刻に終わった試合は過去に2試合あり、93年のビランデル対ペルンフォルス(2回戦)、12年のコールシュライバー対イスナー(3回戦)も、ともにフルセットの激闘で深夜まで続いた。

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