魁皇ついに!千代の富士に並ぶ史上最多1045勝

[ 2011年7月14日 06:00 ]

<大相撲名古屋場所 4日目>魁皇は、豊ノ島(右)を破り九重親方の持つ通算勝利記録1045勝に並ぶ

名古屋場所4日目

(7月13日 愛知県体育館)
 ベテラン大関・魁皇(38=友綱部屋)がついに相撲史に残る快挙を成し遂げた。初日から3連敗で迎えた4日目に、平幕の豊ノ島(28=時津風部屋)を左からの突き落としで下した。決して順風満帆ではなかった相撲人生ながら地道に勝利を積み重ね、千代の富士の持つ史上最多の通算1045勝に並んだ。今場所も腰の神経痛に悩むなど満身創痍(そうい)の38歳は、5日目の旭天鵬戦で一気に前人未到の1046勝目を目指す。 
【取組結果】

 23年4カ月の土俵生活を象徴するかのような一番だった。立ち合いで魁皇は豊ノ島に当たり勝った。右上手は取れなかったが即座に左から突き落とし。待望の白星を手にした次の瞬間、まるで“欽ちゃん走り”のように不格好にバランスを崩し、照れくさそうにペロッと舌を出した。それでも1045度目の勝ち名乗りを受けた38歳の表情は安ど感に満ちあふれた。

 「あんな相撲だったけど、とりあえず勝つことができた。ここまで内容が悪かった。関取としてはまあまあかと思うけど大関としてはダメ。こんなに騒がれるのが恥ずかしい」。重圧がかからないよう、館内のファンも取組前の“魁皇コール”をやめてサポート。大記録を達成すると長くて温かい拍手がベテラン大関を包み込んだ。

 ボロボロの体は、もう数年前から限界を超えていた。今場所も今年5月に発症した腰の神経痛で、四股を踏むどころか普通に歩くことすら困難な状態だった。00年秋場所で大関に昇進して以来、「椎間板ヘルニア」「左右の上腕二頭筋長頭腱断裂」「左右の大腿屈筋損傷」など、自ら「痛めていない箇所がない」と話すほど数多くの故障に見舞われてきた。途中休場は実に13度。その度に引退の危機を迎えた。だが、ケガが治るとの評判を聞けば、元プロレスラーの充子夫人(43)とともに日本中の病院を渡り歩いた。治療中でも体が動く限りは稽古場に下り続け、激痛に顔をゆがめながら四股を踏んで筋力と股関節の柔軟性を維持。愚直なまでの勤勉さで苦難を乗り越えてきた。

 ところが通算1000勝を挙げた昨年の夏場所で、ついに心が折れた。「自分の時代は終わり。1045勝なんて考えられない」と漏らし、ご当地の九州場所までに引退することを決意した。だが、その2カ月後の7月に野球賭博問題で琴光喜が解雇され、事態は急転。日本人大関が1人になったことでファンや後援者から「日本人は魁皇だけ。辞めないで」、協会幹部からも「次の日本人大関が出るまで現役でいてくれ」と懇願された。協会の看板力士として、日本の伝統文化を守る使命感を支えに、ここまで気力を奮い立たせてきた。

 初めて番付に載った88年夏場所、新十両、新入幕の場所は全て負け越し。大関昇進までに三役は32場所も務めた。「俺の場合は何をやっても簡単にはいかない。自分らしいといえば自分らしい」。気は優しくて力持ち。おちゃめで不器用な一面も併せ持った38歳が、痛む体にムチ打って新記録に挑む。

 ≪母「感無量」地元では花火5発!≫魁皇の母・古賀栄子さん(66)は今場所初めて名古屋に駆けつけ、息子の快挙達成を見届けた。「勝った瞬間は体が震えた。ファンの方々に喜んでいただけたのが何より。感無量です」と声を震わせた。福岡県直方市の自宅でテレビ観戦した父の古賀誠二さん(69)は「とにかくホッとした。顔を見て本人はまだ気力があると感じていた」と話した。地元では勝ち越した時と同じ5発の祝い花火が打ち上げられ、4日連続で実施されたパブリックビューイングでは観戦した100人がくす玉を割り、万歳三唱で祝福した。きょう14日には同市の表彰委員会が招集される予定だ。

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2011年7月14日のニュース