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ボスニアMFスシッチ 監督のおい“雑音”封じたアシスト

[ 2014年6月27日 09:05 ]

<ボスニアヘルツェゴビナ・イラン>突破を図るスシッチ(左)(AP)

 元スター選手が率いるチームでおいっ子がプレーする。普通なら美談だ。だが、ボスニア・ヘルツェゴビナのサフェト・スシッチ監督が抜てきしたMFティノ・スベン・スシッチには“縁故採用”の批判がつきまとった。

 破壊、大虐殺、民族浄化…。約4年の悲惨な内戦の終結後も国内には民族対立が残り、サッカー協会には3つの民族を代表する会長が3人いた。そんな苦境を乗り越えてW杯初出場を決め、国民を1つにした代表チームにも内紛があった。3月5日のエジプトとの親善試合。スシッチ監督はケガ明けのエースFWジェコにフル出場を命じ、おいのスシッチを代表デビューさせた。ジェコは態度で不満を表明し、DFスパイッチ主将はW杯予選を戦っていない選手を招集した監督を批判。逆に指揮官がエースと主将を非難する事態に陥った。

 「“スシッチでいること”って簡単じゃないんだ。自分は名前や叔父が理由ではなく、プレーで選ばれたことを証明しなくてはならない」。現役時代に“マジック・スシッチ”と呼ばれた叔父サフェト氏も、父セアド氏も元ユーゴスラビア代表FW。スシッチが受けたプレッシャーは相当なものだったが、12年に移籍したハイデュク・スプリト(クロアチア)では2シーズンで49試合4得点。左足での巧みなボールキープと決定的なパスで攻撃を操り、W杯代表入りに値するプレーを見せていた。「クロアチアではテレビ中継がなくて、インターネットで(代表入りを)知った。このために頑張ってきたんだし、うれしかった」

 W杯ではナイジェリア戦で途中出場。イラン戦は左の攻撃的MFで初先発し、後半14分にはMFピャニッチへのスルーパスでアシストをマークした。歴史的初勝利への貢献が、“縁故”批判に対する22歳の答えだった。

 ◆ティノ・スベン・スシッチ 1992年2月13日、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ生まれの22歳。家族でベルギーへ移住してサッカーを始め、U―18、19同国代表選出。10年にスタンダール・リエージュのトップチームに昇格も公式戦出場はなく12年にハイデュク・スプリトへ4年契約で移籍。13年クロアチア杯の決勝第2戦でゴールを決め、優勝に貢献。代表通算4試合無得点。1メートル86、77キロ。

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2014年6月27日のニュース