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母国にも朗報!イビセビッチ復活ハット

[ 2009年9月29日 06:00 ]

ハットトリックを決め、笑顔でピッチを去るイビセビッチ

 ブンデスリーガ第7節の2試合が27日に行われ、ホッフェンハイムがヘルタに5―1で快勝し、4連勝で3位に浮上した。1月に右ひざ前十字じん帯を断裂し、昨季後半戦を棒に振ったボスニア・ヘルツェゴビナ代表FWベダド・イビセビッチ(25)が今季初ゴールを含む復活のハットトリック。10年W杯で初出場を狙う同代表にとっても朗報となりそうだ。

 圧巻のゴールラッシュだった。開始1分に右ボレーで先制点を叩き込むと、3分後に左CKから頭で追加点。さらに右サイドからの折り返しを再び頭で決め、わずか21分でハットトリックを達成した。イビセビッチがドラマチックに復活した。

 「あんな短い時間でハットトリックを決められてうれしい。これまでも悪くなかったが、ゴールだけが足りなかった。きょう試した新しいスパイクが幸運を運んできてくれたのかもしれないね」

 今季初ゴールで弾みをつけると、あっという間に2点を追加。爆発力が戻った。巧みな位置取りと1メートル88の長身を生かした決定力で、昨季前半戦17戦で18得点とブレーク。昇格1年目の新興クラブを前半戦首位の“冬の王者”に導いたが、1月に右ひざを痛めてシーズンが終わった。エース離脱でチームも7位と失速。再起を誓った今季は先発しながら不発続きで出遅れたものの、開幕7戦目の復活劇でチームも3位に浮上し、昨季前半戦の快進撃再現の気配が漂ってきた。

 W杯欧州予選5組で2位につけ、10月10日のエストニア戦に勝てばプレーオフ進出が決まるボスニア・ヘルツェゴビナにも弾みとなる。急成長で代表でも主力に定着したストライカーは、少年時代の92年に国内紛争で疎開生活を経験した。スイス亡命を経て米国に移住し、04年にパリSG入りした際はセントルイス大で活躍していたという異色の経歴。ピッチの上で結果が出ない時は紛争の記憶を思い起こし「人生で戦争ほどつらいものはない。サッカーなんて大したことはない」と自らを奮い立たせるという。

 人口3300人の村がホームのホッフェンハイムとW杯出場がないボスニア・ヘルツェゴビナ。ともに決して強豪とは言えないが、いくつもの障害を乗り越えてきたイビセビッチがチームを引っ張る。

 ◆ベダド・イビセビッチ 1984年8月6日、ボスニア・ヘルツェゴビナ(当時は旧ユーゴスラビアの一部)生まれの25歳。16歳だった00年にスイスに亡命し、米国へ移住。セントルイス大1年時の03年に22戦18得点でNCAA(全米大学体育協会)の最優秀新人に選出された。04年にパリSG入りし、ディジョン、アーヘンを経て07年に当時2部だったホッフェンハイム入り。1メートル88、80キロ。

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2009年9月29日のニュース