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団体もメダル届かず…葛西「やめるわけにいかない」

[ 2010年2月24日 06:00 ]

ジャンプ団体で5位に入り、笑顔を見せる(左から)葛西、栃本、竹内、伊東

 ノルディックスキー・ジャンプの団体戦(HS140メートル、K点125メートル)は22日、ウィスラー五輪公園で行われ、日本は5位に終わった。アンカーの葛西紀明(37=土屋ホーム)が2回目に140メートルの大ジャンプで06年トリノ五輪の6位から1つ順位を上げたが、07、09年世界選手権銅メダルの得意種目で表彰台はならず。ジャンプは02年ソルトレークシティー五輪から3大会連続で個人、団体ともメダルなしに終わった。オーストリアが2連覇を飾った。

 2回目のアンカーを前に、98年長野五輪以来となる日本のメダルは絶望的となっていた。だが、37歳の葛西が意地を見せた。これ以上飛ぶと危険とされるヒルサイズの140メートルをマーク。アンカーでは全体3番目の飛距離で、海外トップと互角の飛躍を見せつけた。
 「最後にいいジャンプができて悔いはない。メダルは逃したけど、今までの五輪の中でも満足できる」。葛西は晴れやかな表情だった。98年長野五輪で団体戦メンバーから外れ、金メダルの感動から1人取り残された。「あの時の悔しさがあるから今も現役を続けている」。それだけに、今回メンバーから外れた岡部孝信(39=雪印)の苦しみも理解できた。同じ北海道下川町出身で2歳年上の兄貴分。「凄く悔しかったと思う。タカ兄さんの分まで…と思って飛んだ」。昨季はジャンプに悩み引退も頭をよぎったが、昨年3月に岡部が38歳4カ月でW杯最年長優勝。刺激を受けて踏みとどまり、世界最多タイとなる6大会連続冬季五輪出場を果たした。
 若きエース伊東大貴(24=雪印)は不慣れな1番手を任され、1回目で129・5メートル。5位と出遅れ、長野五輪の岡部のようにチームに勢いをつけられなかった。初五輪コンビの2番手・竹内択(22=北野建設)と3番手・栃本翔平(20=雪印)も失敗こそなかったが順位を上げられず、メダル争いに絡むことすらできなかった。だが、葛西は言う。「この年齢で世界のトップレベルと戦える。(個人2冠の)アマンの野郎をぎゃふんと言わせないと気がすまない。やめるわけにいかないよ」。41歳で14年ソチ五輪に出場すれば世界新の7大会連続出場。竹内も「今は力不足だが、4年後までには…」と雪辱を誓った。日の丸飛行隊復活へ、それぞれの再挑戦が始まる。

 ▼伊東大貴 できることはやった。(1番手は)勢いをつけないといけない役目。そう考えると70点ぐらい。
 ▼栃本翔平 4人ではなく(岡部を含めた)5人で飛んだ。(初の五輪は)苦しい思いをしたが、最後にそれなりのジャンプができた。これをつなげて4年後にまた挑戦したい。

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2010年2月24日のニュース