85年有馬で7冠「日本でもうやる競馬はありません」

[ 2011年10月5日 06:00 ]

84年日本ダービー、無敗で2冠を制したシンボリルドルフ(右)

さらば皇帝 シンボリルドルフ死す

 【シンボリルドルフ3冠~引退まで】

 ▽皐月賞1着(84年4月15日)弥生賞後は調教を強化して22キロ減。3番手から4コーナーで先頭に立ち、同じ単枠指定でライバルのビゼンニシキと一騎打ち。体をぶつけ合いながら1冠達成。既に3冠を意識していた岡部は口取りで1本指を指し示した。

 ▽ダービー1着(84年5月27日)ビゼンニシキとの「SBダービー」と呼ばれたが人気はルドルフが単勝1・3倍と断然。残り200メートルで前のスズマッハ、フジノフウウン、スズパレードをごぼう抜き。無敗2冠はトキノミノル、コダマに次ぐ3頭目の快挙。

 ▽菊花賞1着(84年11月11日)前哨戦セントライト記念をレコード勝ちで連勝を7に伸ばし、単勝は1・3倍。中団キープから直線抜け出し、ゴールドウェイの猛追を3/4馬身退けてV。8戦全勝で、日本競馬史上初の無敗クラシック3冠を達成した。

 ▽ジャパンC3着(84年11月25日)前年3冠馬ミスターシービーとの史上初の3冠馬対決に沸いた。菊花賞から中1週のルドルフは生涯最低の4番人気。10番人気の同年宝塚記念優勝馬カツラギエースがまんまと逃げ切り、初黒星(3着)を喫した。

 ▽有馬記念1着(84年12月23日)ファン投票はミスターシービーに次ぐ2位だったがレースでは1・7倍の断然人気。逃げるカツラギエースを“大名マーク”から直線半ばで抜き去り、2分32秒8のレコードV。3強対決を制して、年度代表馬に選ばれる。

 ▽天皇賞・春1着(85年4月29日)3度目の対決となったミスターシービー(5着)を寄せつけず、シンザン以来の史上2頭目の5冠達成。野平祐二師は「海外でも勝てる」と話し、レース後に和田共弘オーナーはキングジョージ(英国)の参戦を決定した。

 ▽天皇賞・秋2着(85年10月27日)脚部不安で欧州遠征を断念。和田オーナーから引退発表もあったが、治療によって回復したため、現役続行でぶっつけで挑戦。大外17番枠から直線で一度は先頭に立ったが13番人気ギャロップダイナの大外強襲で苦杯。

 ▽ジャパンC1着(85年11月24日)朝からの雨で重馬場の悪条件だったが、天皇賞後に体調がアップしたルドルフに9頭来日した外国馬は敵ではなかった。大外15番から徐々に進出し、公営馬ロッキータイガーとジャパンC史上初の日本馬ワンツーを飾った。

 ▽有馬記念1着(85年12月22日)再び海外遠征が発表され、国内ラストランとなった。最終4コーナーで早くも先頭に立ち、1歳下の2冠馬ミホシンザンを4馬身ちぎって7冠達成。フジテレビの盛山毅アナは「日本でもうやる競馬はありません」と称えた。

 ▽サンルイレイS6着(86年3月29日)この年、春2戦は米国、秋は欧州遠征が予定されていた。だがレース中に左前脚繋靱帯(じんたい)炎を発症して6着。帰国後、海外再挑戦が検討されたが引退となり、同年12月7日の中山競馬場で引退式が行われた。

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2011年10月5日のニュース