さらば皇帝…初の無敗3冠馬、シンボリルドルフ死す

[ 2011年10月5日 06:00 ]

85年有馬記念で優勝したシンボリルドルフと岡部騎手

 中央競馬史上初めて無敗の3冠馬となり、G1・7勝を挙げたシンボリルドルフが4日未明、老衰のため千葉県成田市のシンボリ牧場で死んだ。30歳だった。岡部幸雄騎手(引退)とのコンビで鉄壁の強さを誇り、16戦13勝をマーク。種牡馬としてもトウカイテイオーを輩出し、父子2代での無敗2冠を成し遂げた。04年に種牡馬を引退した後は北海道、千葉の同牧場で余生を過ごしていた。

 大往生だった。数日前から体調を崩していたシンボリルドルフは3日午後8時頃から、別れの時を知ったかのように、全身に震えを走らせるようになった。獣医師が栄養剤を投与したが、4日午前3時、眠るように息を引き取った。

 美浦トレセンには衝撃が走った。当時、野平祐二厩舎の調教助手として同馬を鍛えた藤沢和雄師は「えっ、そうなのか」と絶句。「調教、競馬のスタイルとも理想の馬だった。調教師となってからもルドルフを理想としてきた」と無念の表情を浮かべた。デビューから引退まで全て手綱を取った岡部幸雄元騎手も「思い出がありすぎて一言で表すのは難しいですが、自分の一部とも言える馬でした。お疲れさまでしたという気持ちとともに、ゆっくり休んでくださいと言いたいです」と別れを惜しんだ。

 16戦13勝、無敗の3冠を含むG1・7勝。その完璧な成績は「皇帝」の称号にふさわしい。83年7月23日、新潟新馬戦でデビュー。「乗る予定で調教をつけていた。乗れなかったのは仕方がない」と振り返る柴田政人(現調教師)が北海道遠征中だったため代わって手綱を取ったのが岡部氏だった。

 岡部氏にはビゼンニシキという強力なお手馬もいたが、クラシックを前にルドルフとのコンビを選択。期待に応えて馬も無敗街道を突き進んだ。皐月賞ではビゼンニシキを退けて1冠。この時、後の3冠を予感した岡部氏は口取りで1本指を挙げている。この年ダービー、菊花賞も制し、中央競馬史上初、無敗(8戦8勝)でのクラシック3冠を達成した。

 1世代上の3冠馬ミスターシービーとの対決は話題を集めたが、3戦して全て先着。シービーを管理した松山康久師は「ルドルフと手合わせできたことは大きな勲章」と振り返った。85年の有馬記念を連覇しG1を7勝に積み上げた。翌86年は渡米し、サンルイレイSに出走したがレース中に故障。6着に敗れ現役生活の幕を閉じた。種牡馬入り後は初年度からトウカイテイオーを出し、父子2代無敗2冠、ジャパンC2代制覇。04年に種牡馬を引退していた。

 96年にシンザン、00年ミスターシービー…そしてルドルフ。昭和の競馬シーンを飾った3冠馬はもういなくなった。くしくも今年、2冠馬オルフェーヴルがディープインパクト以来6年ぶりの偉業に挑むが、新たな名馬伝説は平成も、そしてこれからも続いていく。

 ◆シンボリルドルフ 父パーソロン、母スイートルナ(母の父スピードシンボリ)。81年3月13日に北海道門別町(現日高町)のシンボリ牧場で生まれた。毛色は鹿毛。美浦・野平祐二厩舎に在籍。獲得賞金6億8482万4200円。84、85年の2年連続年度代表馬に選ばれ、88年には顕彰馬に選出された。馬名はシンボリの冠名+神聖ローマ帝国の「皇帝」ルドルフ1世に由来する。

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