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【1987年7月】命くれない/皮肉なヒット 瀬川瑛子 初回注文ワースト2位からミリオン

[ 2011年7月6日 06:00 ]

45枚目のシングルで大ヒットに恵まれた瀬川瑛子
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 ★87年7月ランキング★
1 君だけに/少年隊
2 パンドラの恋人/南野陽子
3 WANDERER/チェッカーズ
4 50/50 中山美穂
5 スマイル・アゲイン/小泉今日子
6 ろくなもんじゃねえ/長渕剛
7 さよならの果実たち/荻野目洋子
8 命くれない/瀬川瑛子
9 Blonde/中森明菜
10 Get Wild/TM NETWORK
注目チャンスは一度だけ/大西結花
※ランキングは当時のレコード売り上げ、有線放送、ラジオ、テレビのベストテン番組などの順位を参考に、話題性を加味してスポニチアネックスが独自に決定。

【命くれない/瀬川瑛子】

 デビューして20年。演歌歌手・瀬川瑛子は、シングル45枚目にして初の大ヒット曲「命くれない」を毎日10回くらい歌う日々の中で7月6日の39歳の誕生日を迎えた。

 当時の瀬川は、身長1メートル70に体重は60キロ超。バスト92センチというグラマラスな体型。ハスキーボイスに、はっきりした顔立ちからは、ジャズシンガーの雰囲気を漂わせていたが、曲は夫婦の絆を歌ったまさに演歌の世界。ポップス全盛の時代、コテコテの演歌がヒットチャートの上位に入るのは至難で、しかも息が長かったことは特筆に価する。88年1月には、リリースから1年10カ月を経て、TBS「ザ・ベストテン」にランクイン。番組史上ベストテン入りまでの最長記録となった。

 皮肉なミリオンセラーだった。不倫や別れの歌ばかりだったが、初めて夫婦愛を歌った曲が大当たり。しかし、私生活では11年間連れ添った夫と離婚した直後だった。「実生活で別れたのに、夫婦の歌を歌ってヒットした。人生って不思議ですね」。そう言って笑った瀬川だが、その胸中はかなり複雑だった。

 初回注文はわずか1860枚だった。「命くれない」をリリースした際、全国のクラウンレコードの営業所からの発注合計枚数がこの数字。限りなくゼロに近い数字といっていい。瀬川の記憶によると、自身過去2番目に低い注文数だったという。

 流れを変えたのがカラオケだった。全国の有線放送などを地道に回りキャンペーン活動をしたところ、有線で聞いた女性がカラオケで歌いだし、存在を知らなかった男性にも浸透。レコードがジワジワと売れ始めた。当初冷たかった各営業所も「瀬川瑛子(のレコード)、すぐに回してくれ」と矢のような催促が連日舞い込むようになった。

 日本有線大賞では、中森明菜の「難破船」が78年の沢田研二以来、9年ぶりに演歌以外からの受賞作になるというのが、前評判だったが、フタを開けてみれば「命くれない」がわずか1票差で受賞。年末の紅白歌合戦にも念願の初出場を果たした。何よりこれを喜んだのが、父親の瀬川伸。かつて2回紅白にも出場したことのある歌手だった。

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