芸能リポーターの須藤甚一郎さん 81歳で死去 長男「孫の写真を見ると涙を流していた」

[ 2020年8月14日 05:30 ]

須藤甚一郎さん(2001年撮影)
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 テレビ朝日「アフタヌーンショー」などで芸能リポーターとして活躍した須藤甚一郎(すどう・じんいちろう)さんが11日午後4時頃、多臓器不全のため神奈川県内の病院で死去した。81歳。東京都出身。通夜は18日午後5時、葬儀・告別式は19日午前10時から、いずれも東京都世田谷区の公益社用賀会館で営まれる。喪主は長男健太郎(けんたろう)氏。

 スキャンダルの渦中の芸能人に、最も嫌がる質問をべらんめえな口調でぶつける“毒舌リポーター”として活躍。梨元勝さんや福岡翼さん、前田忠明氏(79)らとともにワイドショー全盛期を支えた。

 昨年夏に熱中症で倒れ、以降は入退院を繰り返していた。足腰を悪くし、車椅子で生活していた。2、3カ月前から誤嚥(ごえん)性肺炎を発症。その後、消化器や呼吸器にも問題が見つかり、さまざまな合併症とも闘っていた。

 健太郎さんによると、最後に甚一郎さんと面会できたのは亡くなる前日の10日。「意識はあるものの会話ができない状態だった。孫の写真を見ると涙を流していた」という。

 早稲田大学を卒業後、女性週刊誌「女性自身」の記者としてキャリアをスタート。芸能リポーター転身後は、徹底的な取材と毒舌リポートを売りにお茶の間の人気者となった。

 芸能スキャンダルに限らず、政治や事件など幅広い取材活動でも知られた。99年には東京都目黒区議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。19年までに6選した。体調を崩してからは議会の出席がかなわなかったが、芸能界への関心は衰えず、健太郎さんによると「山口百恵のような世代を超えたスターがいなくなったなあ」と漏らしていたという。

 ◆須藤 甚一郎(すどう・じんいちろう)さん 1939年(昭14)1月27日生まれ、東京都出身。早大卒。エジプト大使館などに勤務した後、ジャーナリストに。71年に週刊誌「微笑」の立ち上げメンバーとなった。芸能リポーター転身後は「アフタヌーンショー」「おはよう!ナイスデイ」「ルックルックこんにちは」などのワイドショーで活躍。オウム真理教の一連の事件時は、教団幹部の会見で鋭い質問をぶつけた。

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