山口智子「ロンバケ」と“子離れ”「今に集中」朝ドラ&月9出演の今年「運命的」北斎に感銘、生涯成長誓う

[ 2019年9月23日 08:00 ]

山口智子インタビュー(下)

「監察医 朝顔」で23年ぶりに“月9”ドラマに出演、圧倒的な存在感を放った山口智子(C)フジテレビ
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 女優の山口智子(54)にとって今年2019年は忘れられない年になるに違いない。31年ぶりとなるNHK連続テレビ小説「なつぞら」(月~土曜前8・00)、23年ぶりとなるフジテレビ“月9”「監察医 朝顔」(月曜後9・00、23日に30分拡大で最終回)と自身の原点と飛躍になった放送枠への出演が続いた。2作品からのオファーは「偶然」だが「確かに若い頃とまた違ったやり方で演じてみたいというエネルギーが心身に漲(みなぎ)っていた時期」と情熱を注ぎ込んだ。ただ、月9については「一種の“子離れ”のように、敢えて覚悟を持って距離を置いて、今に集中するという気持ちの方が強いです」と率直な思いも。70歳を過ぎても衰えを知らなかった浮世絵師・葛飾北斎を引き合いに「私はまだ生まれたての赤ん坊みたいなもの」。職人の極みを目指す。

 朝ドラ出演は、ヒロインを務めた1988年後期「純ちゃんの応援歌」以来。演じたのは、伝説の劇場「ムーランルージュ新宿座」の人気ダンサーとして一世を風靡した岸川亜矢美。引退後は新宿の路地裏に、おでん店「風車」を開き、女将として店を切り盛り。主人公・奥原なつ(広瀬すず)と兄・咲太郎(岡田将生)の“東京の母”となった。

 月9出演は、96年4月期に木村拓哉(46)とダブル主演を務め、社会現象を巻き起こした「ロングバケーション」以来。演じたのは、主人公・万木(まき)朝顔(上野樹里)が勤める興雲大学法医学教室の主任教授・夏目茶子。1つの死の影には多くの人たちの悲しみがあるのを忘れないことが仕事の矜持。プライベートのモットーは「明日、死ぬかもしれないから」。その言動は自由奔放にして神出鬼没、年齢不詳で謎が多い。朝顔にとっては法医学者を目指すきっかけにもなった一番の理解者。加えて、父の平(時任三郎)とも長年の親交があり、母・里子(石田ひかり)が東日本大震災で行方不明になった万木家にとっては“心強い姉”のような存在となっている。

 今年の2作品への出演は「全く意図していなかったので、不思議です。縁(えにし)とかバイオリズムとか、何かあるのでしょうね。全く偶然です」と強調。

 「時間をかけて勉強しながら人生を生きいていくことが、面白い仕事につながり、自分の個性が何かのお役にたてるなら素敵だなと思います。歳を重ねていろいろな経験をさせていただいて、人生の感動からいただいたエネルギーが、心身にしっかりと蓄積されて、あふれるほどの時期ではあったと思います。この2作品が続いたのは、不思議な縁に導かれた運命的なタイミングのようにも感じます。確かに今年は若い頃とまた違ったやり方で演じてみたいというエネルギーが漲(みなぎ)っている年かもしれません」。2作品に熱量を放出した。

 23年ぶりの出演となった月9の放送が7月に始まり「やはり、本当に大勢の方が見てくださる場なんだということはヒシヒシと感じます。だから、この作品の思いを多くの皆さんにちゃんと届けなきゃという、身の引き締まる気持ちです。『見てるよ』と皆さんにお声を掛けていただくたびに、ビシッと気合が入ります」と反響の大きさを実感。ただ「ロンバケ」の“存在”について尋ねると、率直な心境を吐露した。

 「俳優という仕事は作品の役を頂いて、1つ1つ全力を尽くすことです。それが“月9”なのか、どの放送枠なのか、カテゴライズの仕方についてはあまり実感がないというのが本音です。俳優として力を尽くせるのは、撮影の場でカメラが回っている時だけで、監督の『カット』の声が掛かってしまえば、もう自分の手を離れてしまいます。ああすればよかった、こうすればよかったと、撮影後にいくら悩んでも何もできない。1つの作品として編集されたものは、見てくださる皆さんにすべての判断を委ねるしかない。だから、後悔のないように『今、頑張るしかない』という思いの連続で生きています。たくさんの方々に作品を見ていただくことへの心からの感謝とともに、作品に対しては、一種の“子離れ”のような、敢えて覚悟を持って距離を置いて、今に集中するという気持ちの方が強いです。旅立った作品はドンドン皆さんの手で育てていただいて、愛していただいて、よろしくお願いします(笑)と思っております」と出演作との“距離感”を明かした。

 一瞬一瞬を積み重ね、山口は今後どこに向かうのか。「私という個性を必要としてくださるなら、全力で力を尽くしたいです。エンターテインメントとは、世界が笑いに満ちて幸福になるためにあるものだと思うので、それに貢献できるような人間でありたいと思います。それには、人生をちゃんと生きて勉強し続けないといけませんよね。でも、一体どうやって人間修行をしていったらよいのか…私も茶子の言葉と同じ気持ちで、心に問い掛け続けています(第8話、茶子のセリフは『自分が本当にやりたいことって、何なんでしょうね。わたくしもいまだに探してますよ。何なんだろうなぁって、ここ(胸)に問い掛けて、また問い掛けて、でも、たまには立ち止まって、大きく息を吸って、で、また問い掛け続ける。自分の本当の声にたどり着くための旅、みたいなもんでしょうかね』)。探り続けて人生をしっかり生きて、自分ならではの色で世界を楽しく彩っていけたらいいですね(笑)」

 約10年続けている映像ライブラリープロジェクト「LISTEN.」(BS朝日)で世界中を旅して出会った音楽や文化を紹介。山口をして「私こそ、答えは何一つ見つかっていません」と言わしめる人間修行の旅は続く。

 「命尽きる最後の日まで勉強ですよね。世界を旅して、改めて故郷・日本のことをもっと知りたくなりました。特に、世界が憧れる日本のもの作りの職人さんの世界は面白くてハマりました。日本には昔、アーティストという考え方はなくて、みんな世に役立つもの作りのエキスパートという意識で仕事をしていた。特に、究極の職人として、自分の技の向上に一生をかけて取り組んだ江戸の浮世絵師・葛飾北斎の人生に、私は大きな感銘を受けました。当時の絵師の仕事は、世の流行を発信する今のテレビマン的な存在で、人々をいかに楽しませようかと考えていたことに共感を覚えました。世界が憧れる偉大な北斎ですが、人間らしい葛藤を抱えながら、日々努力を続けた人でもあります。75歳の時に刊行した絵本『富嶽百景』の前書き的な文章で『50歳まではロクなものを描いてこなかった。70歳を過ぎて、やっと少し物の形が分かってきた。このまま努力を続けたら、100歳になる頃には絵に命が宿るだろう。長寿の神様、我を見守りたまえ』と、これからの人生、さらに成長していくぞという覚悟を宣言している。私もちゃんと人生を生きて、成長し続けたいと思います」

 山口も、まだ見ぬ芝居を探し続ける1人の職人。「どんな仕事も、人々の喜びのために貢献する職人技ですよね。それぞれの個性が輝く技で世界を幸せにしていけたらいいですね」

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