“常に冷戦状態”だった たけし、幹子さんのことでグチも 関係者「どこかで心の傷に」

[ 2019年6月13日 05:30 ]

ビートたけし離婚

1987年9月、ビートたけしとの結婚生活について会見した幹子さん
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 たけしが常に周囲に「冷戦状態」などとうそぶいていた幹子さんとの40年にわたる別居生活には何があったのか。

 たけしと、漫才コンビ「ミキ&ミチ」として活動していた幹子さんが出会ったのは、78年の番組共演。周囲は幹子さんを「明るくて、ぐいぐいと引っ張っていくタイプ。人を立てることも、引くことも知ってる気遣いの人」と評し、母親を理想の女性とするたけしにはドンピシャのタイプといえる。80年には事実婚状態となり、幹子さんがスナックでアルバイトをして家計を支えた。81年にはフジテレビ「オレたちひょうきん族」で“夫婦漫才”を披露したこともある。

 だが、たけしは売れていくにしたがって自宅に寄り付かなくなっていく。83年に婚姻届を提出した頃には事実上の別居状態に。同年と85年の2度、たけしから離婚を切り出されたことがあったが、幹子さんは首を縦に振らず芸人の妻としてのプライドをのぞかせた。

 大きな転機となったのは、86年のフライデー襲撃事件だ。87年に幹子さんは2人の子供とともに大阪に転居。離婚協議が行われる予定だったが、幹子さんと落語家(すでに廃業)との不倫が発覚。たけしが大阪まで出向いて説得し連れ戻したこともあった。

 94年のバイク事故では、幹子さんが入院先の集中治療室の隣の部屋に泊まり込んで献身的に看病したこともあったが、本格的な復縁には至らなかった。関係者は「たけしさんは数年前まで酔うと当時(幹子さんの不倫)のことでグチをこぼすことがあった。どこかで心の傷になって、ずっと引きずっていたのかもしれません」と話した。

 ≪内海桂子と親交≫幹子さんが大阪から東京に拠点を移し、漫才師コンビ「ミキ&ミチ」として活動していた頃に師事していたのが内海桂子(96)。現在も幹子さんの大阪の実家とも連絡を取り合うほど親交が深い。80年代にたけしが離婚を切り出した際も心配し「下積み時代から支えているんだから、離婚してはダメだ」と励ます手紙を送ったという。

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