京マチ子さん逝く 95歳「羅生門」など名作映画数々出演、国際的に活躍

[ 2019年5月15日 05:30 ]

京マチ子さん
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 黒澤明監督の「羅生門」や溝口健二監督の「雨月物語」など数多くの名作映画に出演し、80歳を過ぎても舞台を中心に活躍した京マチ子(きょう・まちこ、本名矢野元子=やの・もとこ)さんが12日午後0時18分、心不全のため東京都内の病院で死去した。95歳。大阪市出身。日本映画界に大きな足跡をしるした銀幕の大スターだった。

 海外でもその名が知られた大女優が静かに逝った。デビュー70年を記念して2月に「京マチ子映画祭」が都内の劇場で開催されたばかりだった。

 独身を貫いた京さんは都内の高層マンションで一人暮らし。奈良岡朋子(89)と若尾文子(85)が同じマンションに住んでいる。

 関係者によれば、身の回りのことを何でも一人でこなしてきた京さんだが、最近、転んで足腰を痛め、入退院を繰り返すようになった。「心臓も弱くなっていたようです」と話す関係者もいる。11日に見舞った知人によれば食事が取れず、少しやつれて見えたという。翌12日の昼に静かに息を引き取った。

 故人の遺志で、親交のあった舞台演出家でプロデューサーの石井ふく子さん(92)ら数人の友人たちが14日に密葬を営んだ。石井さんによると、京さんは数年前に大好きなハワイに足を運び、自ら眠る墓を手配していた。オアフ島の「天国の海」と呼ばれるカネオヘ湾がある地域。知人は「海は見えないが、自然豊かな眺めの良い丘にお墓はあります」と語っている。

 京さんは1949年に大映に入社。肉感的でスクリーン映えする存在感で注目され、5本目の「痴人の愛」が出世作となり、50年には黒澤監督の「羅生門」に起用された。同作はベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を獲得し、京さんの名声も国際的に高まった。

 53年の溝口監督の「雨月物語」がベネチアで銀獅子賞、衣笠貞之助監督の「地獄門」がカンヌで最高賞を受けたことから、京さんは「グランプリ女優」とも呼ばれた。ハリウッドから誘いも受け、「八月十五夜の茶屋」(57年)でマーロン・ブランドさんの相手役を務めた。国際的な活躍は思わぬ展開を見せ、幼き日に生き別れ、ブラジルに渡っていた実父との対面を実現させた。

 映画斜陽の波にのまれて71年に大映は倒産したが、京さんは大映テレビに所属したまま、山田洋次監督(87)の「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」(76年)のマドンナ役などで銀幕を彩った。

 またテレビ朝日「必殺シリーズ」やNHK大河ドラマ「花の乱」(94年)などテレビドラマにも出演。「黄昏」「大家族」などの舞台でも貫禄を示した。石井さんが演出した06年9月の明治座「女たちの忠臣蔵」の瑶泉院役が最後の舞台となった。

 ◆京 マチ子(きょう・まちこ、本名矢野元子=やの・もとこ)1924年(大13)3月25日生まれ、大阪市出身。大阪松竹少女歌劇団を経て、49年に大映入り。私生活では永田雅一大映社長とのロマンスが噂になったこともあったが、独身を貫いた。65年には東京・表参道の日本初の億ションを購入。

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