大映の屋台骨支えた江波さん 貴重な個性派女優また1人失った…

[ 2018年11月3日 09:05 ]

江波杏子さん死去

江波杏子さん
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 最後に会ったのは今年の3月12日、TOHOシネマズ新宿で行われた、松坂桃李主演の「娼年」の完成披露試写会。久しぶりに会って、昭和40年代によく通った六本木のスペイン料理店に出向き、楽しかった青春時代の話に花が咲いた。

 日本人離れしたエキゾチックで個性的な顏。グラマラスな肢体で一世を風びした江波も「娼年」では、老女に扮し、全盛時代とは隔世の感だったが、「まだまだ頑張るわよ。これでも結構仕事が来るのよ」と、右手の親指を立て、グ〜ッと突き出すポーズをしてみせた。

 昭和40年代、記者として駆け出しだった頃からの付き合い。調布市の多摩川べりに勝新太郎、市川雷蔵、田宮二郎、若尾文子らが所属する大映と、石原裕次郎、小林旭、浅丘ルリ子、吉永小百合らの日活の2つの撮影所があった。勝新や雷蔵、若尾らは先輩記者のテリトリーで、新人記者にとって、手っ取り早く取材できたのは江波杏子だった。

 3歳年下の江波は既にデビューしていたが、そんな彼女に巡ってきたのが、負傷した若尾の代役で主演した「女の賭場」(1966年)だった。

 彼女にとって58本目にしてつかんだ初の主演作。女賭博師「昇り竜のお銀」に扮し、ツボを振る姐(あね)さんが当たり役となり、大映が倒産した昭和46年まで17本が製作されて経営不振の大映の屋台骨を最後まで支えた。

 彼女のあと1本の代表作は大映倒産後の同63年に公開された斎藤耕一監督の「津軽じょんがら節」だ。津軽の漁村でオールロケで撮られたが、ロケ先で江波は「女賭博ではいくら頑張っても賞は獲れないけど、この作品では可能性があるかも」と、吹きすさぶ吹雪の中で唇をかみしめた。その熱演が実り、キネマ旬報の主演女優賞を獲り、毎日映画コンクールでも日本映画大賞に輝いた。

 そう言えば、六本木に2人でよくいたので週刊誌の記者に追いかけられたこともあった。「脇ちゃんと恋人なんて勘弁してよ」と大笑いしていたことも良い思い出だ。あの笑顔が忘れられない。

 樹木希林に次いで日本映画は貴重な個性派女優をまた1人失った。=敬称略=(特別編集委員・脇田 巧彦)

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