高畑勲さんお別れの会 宮崎駿監督、涙で盟友悼む…55年前、バス停の出会い「忘れない」

[ 2018年5月15日 11:23 ]

三鷹の森ジブリ美術館で行われた高畑勲さんのお別れの会で、開会の辞を読み上げる宮崎駿監督
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 「火垂るの墓」など数々の名作を手掛け、4月5日に死去したアニメーション映画監督の故高畑勲氏(享年82)のお別れの会が15日、東京・三鷹の森ジブリ美術館で営まれた。

 お別れの会委員長を務めた宮崎駿監督(77)は「パクさん(高畑さんの愛称)は95歳まで生きると思いこんでいた。自分にもあんまり時間がないんだと思う」と声を詰まらせながら盟友を悼んだ。「1963年、パクさんが27歳、僕が22歳の時僕らは初めて出会いました。初めて言葉をかわした日のことを今でもよく覚えています。たそがれ時のバス停で雨上がりの中、1人の青年が近づいてきた。それがパクさんに出会った瞬間だった。55年前のことなのに、なんではっきり覚えているのだろう…」としみじみ。「ありがとうパクさん、55年前雨上がりのバス停で声をかけてくれたパクさんの姿を忘れない」と涙をぬぐいながら呼びかけた。

 お別れの会は、宮崎監督と鈴木敏夫プロデューサー(69)の「ジブリとして盛大なお別れの会で見送りたい」という言葉に従い、大勢の参列者のもと開催された。祭壇と遺影は「野に咲く花たちで囲みたい。高畑作品の作品にあるどれかでもなく『祭壇風』でもない、ただ温かみのある草花たちで包み込みたい」という宮崎監督の想いで飾られた。

 会には山田洋次監督(86)、岩井俊二監督(55)、宮本信子、(73)、竹下景子(64)、瀧本美織(26)らが参列した。

 高畑監督は1959年に東映動画に入社し、68年に「太陽の王子ホルスの大冒険」で劇場用長編アニメを初監督。70年代に「アルプスの少女ハイジ」などのテレビシリーズを演出し、日本アニメの礎を築いた。85年に宮崎監督とスタジオジブリを設立。野坂昭如さんの小説を自身の監督・脚本で映画化した88年「火垂るの墓」をはじめ、「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「かぐや姫の物語」などの名作を送り出した。

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