中村勘三郎さん早すぎる終幕 病魔に勝てず志半ば

[ 2012年12月6日 06:00 ]

5日に死去した中村勘三郎さん

中村勘三郎さん死去

 平成の歌舞伎ブームの立役者、中村勘三郎(なかむら・かんざぶろう、本名波野哲明=なみの・のりあき)さんが5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため東京都文京区の日本医科大付属病院で死去した。57歳の早すぎる死だった。6月に食道がんを公表。手術後、肺炎を発症していた。来年4月開場の新歌舞伎座への出演を目標に療養していたが、復帰の願いはかなわなかった。芸能界、スポーツ界にも幅広く交友関係があり、大きな衝撃が広がった。

 勘三郎さんの遺体は5日未明、文京区の自宅に無言の帰宅。玄関を入ったすぐ横の広いリビングルームに敷かれた布団の上に安置された。妻の好江さん、長男・勘九郎(31)の妻で女優の前田愛(29)、義理の妹で女優の三田寛子(46)らが寄り添い、ひっきりなしに訪れる弔問客に気丈に応対。枕元には線香立てが置かれ、市川団十郎(66)尾上菊五郎(70)らからの供花が勘三郎さんを囲んだ。弔問客によると「安らかな顔だった」という。

 昨年1月、突発性難聴を発症し半年間休養。同年7月下旬に長野県松本市での歌舞伎公演で本格的に舞台復帰した。同11月から今年5月まで、東京・浅草で「平成中村座」の7カ月間ロングラン公演を完走。ファンに完全復活を印象づけたが、親しい友人には「体調はいまひとつ」と漏らすこともあった。

 6月1日に受診した人間ドックで初期の食道がんが見つかった。病気を公表した際には本紙に「早く元気に戻ってくる」と復帰を誓っていた。

 7月末に約12時間に及ぶ手術を受け、患部を摘出。その後、病院内でリハビリを続けていたが、8月下旬、呼吸困難に陥るARDS(急性呼吸窮迫症候群)を発症。人工肺などの治療器具を付け、ICU(集中治療室)で治療を受けていた。所属事務所によると、呼吸器を外して会話をすることもあったが「10日以上前から意識がない状態が続いていた」という。

 京都の南座で公演中の勘九郎と次男・七之助(29)が終演後に会見。勘九郎によると、4日の公演終了後「ちょっと様子を見に行くか」と東京に戻って病院を訪れると、容体が急変していた。勘三郎さんは5日午前2時30分すぎ、2人の息子、親族、事務所スタッフ、親交の深かった女優大竹しのぶ(55)らが見守る中「眠るように静かに」(事務所関係者)息を引き取った。会見で、勘三郎さんに掛けたい言葉を聞かれた勘九郎は「せっかちすぎるでしょ」と寂しそうに笑い、七之助も「負けず嫌いの方が勝ってくれたらよかったのに」と続けた。

 十七代目中村勘三郎の長男として生まれ、五代目勘九郎として3歳で初舞台。1988年に十七代目が死去。大きな後ろ盾を失い苦労も味わったが、持ち前のバイタリティーで多くのファンを獲得、自ら道を切り開いた。94年からは「コクーン歌舞伎」、00年からは江戸の芝居小屋を再現した仮設劇場「平成中村座」の公演を成功させた。平成中村座のニューヨーク公演では、ニューヨーク市警を舞台に登場させるなど現地のファンを沸かせた。

 手術直前の今年7月18日に、松本市で行われた歌舞伎公演「天日坊」に木曽義仲役でサプライズ出演。これが最後の舞台となった。あまりにも早く人生を駆け抜けた希代の歌舞伎役者。通夜は10日午後6時から、葬儀・告別式は11日午前11時から密葬として営まれる。喪主は長男勘九郎、次男七之助。松竹が後日、本葬を予定している。

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