緒形拳さんが急死…先月末には元気な姿も

[ 2008年10月7日 06:00 ]

07年10月、一人舞台「白野」を演じた早稲田大学大隈講堂の客席に立ち、感触を確かめる緒形拳さん

 新国劇を経て、映画やドラマ、CMなどで幅広く活躍した俳優の緒形拳(おがた・けん、本名明伸=あきのぶ)さんが5日、死去した。71歳だった。死因は不明。横浜市鶴見区の自宅で親族がスポニチ本紙の取材に明かしたもので「(7日の)密葬が終わったら正式に発表します」と答えた。新国劇の舞台ほか、「カンヌ映画祭」で最高賞に輝いた「楢山節考」など代表作は数知れず。昭和の名優が慌ただしく逝った。

倉本聰氏「風のガーデン」がクランクアップ

 突然の悲報だった。6日夜、東京・新宿区内の斎場で親族だけで通夜がしめやかに営まれた。緒形さんの姉が横浜の自宅に戻ったところでスポニチ本紙の取材に応じ「きのう(5日)亡くなりました。葬儀が終わった後に正式に発表させていただきます」と答えた。
 10月9日スタートのフジの連続ドラマ「風のガーデン」が遺作となってしまった。先月30日に都内で行われた会見にも元気な姿を見せ、主演の中井貴一(47)を絶賛。「代表作になるよ」と太鼓判を押していた。食べ物を中心に毎日のように更新するブログでも同日「是非是非ご覧下さい」とアピールしたが、これが最後の更新となった。
 緒形さんは58年に新国劇に入団。付き人となった辰巳柳太郎さんのもとで修業を積み、めきめきと頭角を現した。創設者の沢田正二郎が唱えた「半歩前進主義」を指標にし、「極付・国定忠治」や「関の弥太っぺ」「大菩薩峠」などの舞台で活躍。65年にNHK大河ドラマ「太閤記」の秀吉役で注目を集め、テレビ朝日系「必殺仕掛人」の藤枝梅安役も人気を呼んだ。その後はスクリーンでも実力を発揮。「鬼畜」「楢山節考」「復讐するは我にあり」といった作品で、国内外にその名演ぶりをとどろかせた。
 一時はポール・シュレーダー監督作「MISHIMA」など外国映画への出演も増えたが、97年に亡くなった勝新太郎さんが「道草しちゃだめだよ」と忠告し、その後、軸足を日本映画に戻したのは有名な話だ。
 書家としても知られた才人だった。91年には初個展を開催し、「臍下丹田(せいかたんでん)」という本も出版して話題を呼んだ。タイトルについて「臍(へそ)の下、下っ腹を指す言葉で、命だな。人間の命みたいなものだ」と本紙の取材に強調したこともあった。
 仕事に入ると、妥協は許さなかったが、サービス精神旺盛な一面もあった。旧ソ連で撮影が行われた「おろしや国酔夢譚」では、イルクーツクの日本人墓地を自らガイド役になって取材陣を案内する一幕もあった。
 2人の息子、幹太(41)と年子の直人(41)はともに父の後を追って俳優の道に進んだが、関係者によれば、子供というよりもライバルとして見ていたという。それほど仕事に関してはプロ意識に徹した人だった。

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2008年10月7日のニュース