日本ハム山崎福也 幸福、至福、福祉…福を呼ぶ男になる オリックスから移籍左腕 新春インタビュー

[ 2024年1月4日 13:08 ]

ファイターズでの活躍を誓い熱く語った山崎(撮影・西川祐介)
Photo By スポニチ

 このオフに、オリックスから日本ハムにFA移籍で加入した山崎福也投手(31)が、スポニチの新春インタビューに応じた。昨季初の2桁11勝をマークした期待の左腕は、本拠地開幕となる4月2日の楽天戦先発も内定。今回は自身の名前に入る「福」にちなみ、「幸福」「至福」「福祉」をテーマに、野球だけでなくプライベートについても語った。(取材・構成 田中 健人)

【幸福 野球で結果を残すのが一番】
 ――オリックス時代で一番幸せだった瞬間は?
 「やっぱり勝ち星が付く瞬間じゃないかな。9回に勝ち星が懸かった時や、勝利の権利で降りて最後に平野(佳)さんが抑えてって時が一番幸せです」
 ――優勝した時も大きな喜びを感じた。
 「もちろん。優勝もそうですし、22年の日本一も凄くうれしかった。やっぱり野球で結果残すのが一番です」
 ――今回のFAで多くの球団からのオファーが届いたのもうれしかった?
 「うれしさはあったけど、“どうしたらいいんだろう”みたいな感じで。こんなに(オファーが)来ると思っていなかったので。数々の球団が来ていただいて、感謝の気持ちもあるけど、パニックになりました(笑い)」
 ――一番印象に残っている白星は。
 「去年の10勝目の試合ですかね。1―0で勝った瞬間。初の2桁勝利が懸かってて、ピンチがたくさんあったんですけど、最後まで他の投手も抑えた」
 ――記念のボールはどこにある?
 「僕はボールは取っておかないタイプで。ファンの人とかにあげちゃうんですよ。10勝目のボールもないですし、初勝利のボールもないんです。過去の話なんで、次にいかないといけないっていう気持ちもある」

【至福 大好きな焼肉パッと食べる】
 ――野球を離れた時の至福の時間は?
 「休みの日で二度寝ができそうな時に起きる時はいいですよね」
 ――どんなオフを過ごしている?
 「予定がなかったらゴロゴロしています。外出したりもするけど、ペースを乱されたくないので、自分の思うがままにしたい。それが一番の幸せかな。予定を立てるのは好きじゃない」
 ――出掛けるのはどこへ?
 「(神戸の)三宮に出て洋服とかも売っているところにぷらっと入ったり。そういう時の方が買ってしまったりする。基本的になんも考えずに暮らしたいです」
 ――食事の面で至福の時間は?
 「焼き肉がいいですね。食べるの好きなんで、うまいと感じる瞬間がいい。好きなんですけど、さくっと食べたい。時間をかけて食べたくなくて。2、3時間とか苦手。パッと食べられるおいしい物を食べたい感じ」
 ――一番好きな部位は?
 「基本的に全部好き。ほんとに。基本的に全般好きなんで、それぞれをどんと頼んで、すぐパッて食べて。ホルモンも好き」

【福祉 脳腫瘍患者支える寄付継続】
 ――21年から自身も患った脳腫瘍患者の支援団体に寄付をしている。きっかけは?
 「僕自身が病気をしたし、大阪にそういう団体があったので。子供向けでやりたいとずっと思っていたけど、なかなか給料も上がらず…。ちょっと余裕も出てきた時があったので、やろうと思った」
 ――寄付活動は日本ハムでも続けていく?
 「続けていきたい思いも強いし、もっともっと広げたい。僕は北海道で手術しているので、北海道の病院とかにもしたい」
 ――病院への訪問なども考えている?
 「僕が手術した(北大)病院に帰ってみたい、訪問したいと思っている。当時は一人になるのが苦しかった。少しでも影響力ある人が来て、盛り上がってくれたらいいという気持ちはある。プロ野球選手として、支援できる部分があれば」
 ――最後に日本ハムにどんな幸せをもたらしたい?
 「優勝です。昨年は最下位で終わっているので。個人4連覇したい。僕自身、このチームと一緒に成長していきたい。オリックスは山本や宮城が上にいて、5、6番手で悔しい思いがあった。自身は1、2番手に入って、成長していきたいです」

 ◇山崎 福也(やまさき・さちや)1992年(平4)9月9日生まれ、埼玉県所沢市出身の31歳。日大三(東京)入学直前の08年3月に脳腫瘍の手術を受けたが、回復して3年時の選抜で準優勝。明大では東京六大学リーグで3年春秋連覇、4年時には神宮大会準優勝を経験。14年ドラフト1位でオリックス入団、23年オフに日本ハムへ移籍。父は巨人、日本ハムで捕手としてプレーした章弘氏。1メートル88、95キロ。左投げ左打ち。

続きを表示

この記事のフォト

「始球式」特集記事

「落合博満」特集記事

2024年1月4日のニュース