阪神・大山と「恩師」藤倉多祐さん、そして岡田監督を結ぶ背番号「3」の縁

[ 2023年9月16日 06:00 ]

白鴎大で阪神・大山悠輔を育てた藤倉多祐さん

 【阪神担当・倉世古洋平キャップの優勝記念特別コラム】阪神・大山の活躍に、特別な思いを持っている人がいる。白鴎大時代の恩師、藤倉多祐(かずまさ)さん(66=白鴎大野球部顧問)は「運があるのでしょうね」としみじみ語る。つくば秀英高からスカウトし、大学1~3年時は監督として試合に使い、4年時は総監督として成長を見守った教え子が現在タテジマで付ける「3」は、かつて自身がタイガース時代に付けた背番号と同じだからだ。

 「一度だけ、俺が3を付けていたんだって、(大山)悠輔に話したことはありますよ」

 藤倉さんは、79年にドラフト外で、青学大から入団した。ドラフト外の新人に3を用意されたのは、球団の期待の表れと考えるのが自然な流れだ。84年にロッテにトレードされるまでの4年間、内外野守れるユーティリティープレーヤーとして、存在感を見せた。今年のチームなら、植田や熊谷のような選手だった。

 「運」を口にするのは、大山の存在だけではない。岡田監督は阪神入団の同期。「オカ」と呼ぶ一緒に戦い、遊んだ仲間の下で、教え子の「悠輔」が4番を打つからだ。

 「オカとは鶴橋(大阪市)あたりにも飲みにいったねえ。ほら、あのあたりはオカの実家の近所でしょ?」

 実は「3」は、岡田監督が付ける可能性があったという。藤倉さんは「オカが3番を断ったっていう話を後で知ったんだ」と記憶をたどった。本当なのか。岡田監督は44年前の裏事情を明かした。

 「そうやで。(空いていたのは)3と5な。そやけど、一桁は活躍せえへんやろ?(藤倉さんは)3があかんかったんちゃうか(笑い)」

 父・勇郎さんはタイガースの熱心な支援者で、子どもの頃から“阪神推し”。背番号にまつわるチームのジンクス的なものを、自分なりに把握していた。だから、6球団が競合した大型新人は、名選手の三宅秀史、上田二朗が付けた「16」を選んだそうだ。

 岡田監督と藤倉さんが交差した3は、後に八木裕、関本賢太郎らが付け、大山が18代目を務める。先人の汗と涙とともに代々受け継がれ、今や憧れの背番号へと変わった。

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