ロッテ・朗希 臨機応変な育成計画が3年目の飛躍につながった

[ 2022年4月18日 05:30 ]

パ・リーグ   ロッテ0―1日本ハム ( 2022年4月17日    ZOZOマリン )

 最近、多くのメディアで「佐々木朗の育成法」について論じられている。1年目に登板せず体力強化に充てたことが、3年目の飛躍につながったという内容だ。その答え自体に間違いはないのだが、違和感も覚える。ロッテは最初から体づくりに専念させようと考えていたわけではないからだ。

 意外と知られていないが、佐々木朗はプロ1年目のシーズン最終戦、つまり20年11月9日の日本ハム戦で先発デビュー予定だった。本拠地で初登板させることで、2年目の飛躍につなげてほしいと首脳陣は考えていた。ところが、極秘で進めていた2軍で調整登板しようとしたところで、コンディション不良に陥った。

 ドラフトで4球団競合の末にくじを引き当てた井口監督は「本人次第な部分はあるけれど、50イニングくらいは考えている」と明かしていた。当初は1、2軍合わせた投球リミットを「50イニング」に設定し、夏頃から戦力として考えた。大船渡3年夏は、岩手大会準決勝の一関工戦で129球完封すると、連投となる花巻東との決勝は、故障予防を理由に登板回避して敗れた。「50イニング」は成長途中である佐々木朗の体を考慮した数字で、過保護にするつもりもなかった。

 入団1年目だった20年の5月下旬。当時18歳の怪物は、開幕前のシート打撃でいきなり160キロを計測した。その反動もあったのだろう。右肘などのコンディションが低下すると、球団は方針を一気に転換した。約1カ月もノースローで体力強化に専念。プランを覆した臨機応変な対応が、「朗希育成」のファインプレーとなったのだ。(ロッテ担当・横市 勇)

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2022年4月18日のニュース