ヤクルト・古田臨時コーチ 黄金期再来へ“ノムさん野球”伝道師になる!初日から7時間熱血指導

[ 2021年2月6日 05:30 ]

室内練習で中村(左)ら捕手陣を指導する古田臨時コーチ(撮影・村上 大輔)
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 捕手としてヤクルトの黄金期を支え、選手兼任で監督も務めた古田敦也臨時コーチ(55)が第2クール初日の5日にチームに合流。中村悠平捕手(30)らに捕球や一塁けん制講座を行うなど指導初日から精力的に動いた。約1年前の2月11日に恩師の野村克也氏が死去。「野村ID野球」の申し子は「伝道師」として教えを還元し、2年連続最下位からの巻き返しに貢献することを誓った。

 やはり抜けるような沖縄の青空がよく似合う。14年ぶりに「ヤクルト・古田」が浦添に帰ってきた。ジャージー姿で現役時代の背番号である「27」と自身の名前が刺しゅうされた青色のミットをはめて登場。初日から約7時間の熱血指導を行った。

 「もう14年前ですか。球場も変わってないですね。非常に居心地の良さは感じてます」

 選手兼任監督を務めていた07年限りで現役&監督も退任。その後もテレビ番組の取材などで訪れていたが本格的な指導は初めてだ。西武やBC新潟でも臨時コーチの経験はあるが、やはり古巣への指導は熱がこもる。室内練習場では中村ら捕手4人に捕球や一塁けん制の講座を開催。「捕り方のうまいやつは投手から信頼される」と自ら実演もした。携帯で4人の捕球を撮影しストップウオッチでけん制のタイムも計測。身ぶり手ぶりを交えながらの熱血指導だった。

 2年連続最下位の一因は正捕手の不在。昨年の捕手の先発出場は最多でも西田の54で、次が中村の25だった。防御率も12球団ワーストの4・61。前日の宿舎ミーティング後にも、捕手4人に「とにかくおまえらがその気になって投手陣を引っ張らなくちゃいけない」と活も入れていた。この日はブルペンでも中村の後方に立って「打者が岡本(和)ならどうする?」と声を掛けながら配球論も教えた。中村は「教わる一つ一つが宝物」と目を輝かせる。

 約1年前。悲しい別れがあった。歴代2位の657本塁打を放った名捕手で監督でも歴代5位の1565勝を挙げた恩師の野村克也氏が2月11日に死去。現役時代に誰よりも薫陶を受けた古田コーチは言葉に力を込める。

 「僕の話している半分は(野村氏の)受け売り。それを継承するのが僕の仕事。野球は進歩していくけど普遍的な部分を今に当てはめてくれたら」

 通算2097安打でリーグ優勝5度、日本一4度の黄金期を支えた名捕手は、発展途上の選手らに「フルタの考え」を伝える。(青森 正宣)

 ◆古田 敦也(ふるた・あつや)1965年(昭40)8月6日生まれ、兵庫県出身の55歳。川西明峰では甲子園出場なし。立命大からトヨタ自動車を経て89年ドラフト2位でヤクルト入団。5度のリーグ優勝、4度の日本一に貢献し、91年に首位打者、93、97年にMVP。ベストナイン9度、ゴールデングラブ賞10度。06年から選手兼任監督を務め、07年で引退、退任。通算2008試合出場、2097安打、打率.294、217本塁打、1009打点。右投げ右打ち。

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