日本製鉄鹿島・中島彰一監督「天国で“何やってんだ”と言ってると思います」 都市対抗1回戦で敗退

[ 2020年12月3日 05:30 ]

元常総学院監督・木内幸男氏通夜

野球のダイヤモンドがかたどられた木内氏の祭壇(撮影・篠原岳夫)
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 取手二の84年夏の甲子園優勝メンバーの日本製鉄鹿島・中島彰一監督(54)は、恩師と対面して「安らかないい顔でした」と話した。他界した翌日(11月25日)に都市対抗1回戦で三菱重工広島に6―7で敗戦。「何とか勝たないとと力が入り、選手が固くなってしまった。天国で“何やってんだ”と言ってると思います」。

 人生のターニングポイントとなったという84年夏の甲子園決勝ではPL学園・桑田(元巨人)から延長10回に決勝3ラン。そのPL学園の当時の監督だった中村順司氏(74)から電話で「葬儀には行けないけど、よろしく」と伝えられたそうで、中村氏から託された花を供えて故人の教えを改めて噛みしめていた。

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