ドラフトの超目玉 早大・早川を成長させた甲子園のくやし涙

[ 2020年10月26日 08:00 ]

16年夏の甲子園、準々決勝・作新学院戦で敗れ涙を流す木更津総合の早川隆久投手
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 ロッテ、ヤクルトが1位指名を公表したのが、早大の早川隆久投手(22)。ドラフトの超目玉となった155キロ左腕は、マウンドさばき同様、インタビューにも冷静で丁寧に受け答えするが、高校時代には何度も涙を流してきた。 You Tubeスポニチチャンネル・早川隆久投手インタビュー動画

 木更津総合(千葉)2年時に出場した15年センバツ。自身初の甲子園で、2回戦で静岡と対戦し、2―4で敗れた。早川は先発したが、リードを守れずに5回3失点。2番手で鈴木健矢(現日本ハム)につないだが、追いつけなかった。試合後、インタビュールームで早川は号泣した。負けた悔しさがあったとは言え、当時の早川にとってはまだ高校野球最後の試合などではなく、あと3度甲子園を狙えるチャンスがあった。

 それでも涙したのは入学時から面倒を見てくれた滝田優司コーチ(現・市原中央野球部監督)がセンバツを最後に異動が決まっていたからだった。「滝田先生に成長したところを見せたかった。優勝して送り出したかったのに…」とあふれる涙をずっとぬぐっていた。泣き疲れて放心状態になっていたが、インタビュー時間も最後になると決意に満ちた表情になった。「もう一度甲子園に来て、大きくなったところを見せる。恩返しする」と誓った。 
 結果的にその後、2度甲子園に出場を果たしたが、1年後の3年春のセンバツでも苦い思いをした。準々決勝・秀岳館(熊本)戦であとストライク1つ、この1球が決まればゲームセットの場面でこん身の1球がボール判定。サヨナラ負けを喫した。「力不足でした」。そこから早川は再び立ち上がり、敗戦をバネにして3年夏も甲子園に戻ってきた。幾度の涙が早川を強くした。

 大学4年生になった今も「やはり経験というのはすごく大きいと思う」と語る。ドラフトの超目玉となった早川。どの球団のユニホームを来ても思い描くのは「野球界に名が残る大投手になりたい」との強い思いである。

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2020年10月26日のニュース