【内田雅也の追球】「美しい」満員の野球場――心を磨いて季節を待つ

[ 2020年4月14日 08:30 ]

ベランダの物干しざおに舞い降りた桜の花びらは美しかった
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 大リーグ・インディアンスなど4球団でオーナーを務めたビル・ベック(1914―1986年)は、時に奇策とも言えるアイデアで観客動員に努めた。

 背の低い男性(身長1メートル9)を特別に打席に送った。外野フェンスを移動式にして強打のチーム相手では後退させた。球場の女子トイレを清潔に保ち、託児所を設けた。年間予約席を生みだし、ユニホームの背に初めて名前を入れた。リグリー・フィールドのフェンスにつたをはわせた。

 経営者として没後の1991年、野球殿堂入りを果たした。そんなベックが残した言葉にある。「地球上で最も美しい光景は観衆で埋まった野球場だ」

 超満員の甲子園球場――もちろん、他の球場でも構わない――を思い浮かべ、納得する。

 では、誰もいない野球場はどうだろう。12日に開幕した台湾プロ野球は無観客での開催だった。スタンドにはマネキンや紙に描いたファンやカメラマンの絵が並んでいた。まさに苦肉の策で、珍妙な光景に映る。

 人のいない野球場は醜いとまではいかないが、美しくはないのだ。

 ただ、なぜ満員の野球場を美しいと感じるのか。美しいと思うときの心の動きとはどういうものか。橋本治『人はなぜ「美しい」がわかるのか』(ちくま新書)を読んでも難しく、分からない。<なぜ夕焼けは美しいのか?――この答えは「そういうもんだから」です>とあった。

 ウイルス禍で在宅勤務が続いている。家にばかりいるのはやはり息苦しく、どうも心は晴れない。しかも、この日は朝から雨が降っていた。

 そんな時、窓辺の外、ベランダに一片の花びらが舞い降りた。遅咲きで知られる近所の「さくらの広場」も散り始めている。頭上を見れば、雨を切り裂き小鳥が飛んでいた。花びらは物干しポールの上にとまっていた。桜だった。素直に美しいと思った。

 「きれいなものをちゃんときれいって思えるのがうれしい」。映画『海街diary』(監督・是枝裕和)で終末期病棟に入った「海猫食堂」店主・さち子が残した言葉だ。看取った福田が告別式で明かす。その言葉を聞いて、父を亡くしたすずも「お父さんもそう言ってた」と少し笑う。

 美しいものを美しいと思える心を整えておきたい。夕焼けも月も星も、青空も白い雲も、黒い土も緑の芝も、そして満員の野球場も……。

 冒頭で書いたベックは利益追求の金の亡者ではない。生粋の野球人と認められていた。こんな言葉も残る。「季節(シーズン)は二つしかない。冬と野球シーズンだ」

 そうか、いまは冬なのだ。ならば、野球が来るのを待つしかない。美しいと思える心を磨き、待てばいい。=敬称略=(編集委員)

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2020年4月14日のニュース