甲子園準V2回 ダルを育てた名将・若生監督が勇退 教え子1300人「監督生活に悔いはない」

[ 2019年4月5日 16:11 ]

2004年7月、宮城大会決勝で2年連続19度目の優勝を決め、ダルビッシュ(左)らナインに胴上げされる東北・若生監督
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 ダルビッシュ(カブス)雄平(ヤクルト)らを育てた埼玉栄野球部の若生正広監督(68)が5日、勇退を発表し同校で会見が行われた。

 会見に集まった記者に向かって「野球人生、きょうが最後。申し訳ありません勝手を言って」とまず頭を下げた。87年、法大―社会人を経由して初めて監督に就任したのが埼玉栄。そこから母校・東北(宮城)、九州国際大付(福岡)と指揮を執った。

 東北監督時代の03年には当時2年生のダルビッシュ(カブス)を擁し決勝に進出。常総学院に敗れたものの見事準優勝。九州国際大付では11年に東日本大震災が起こり、仙台の実家が被災した。その中で行われたセンバツ大会でも準優勝とすばらしい実績を残した。

 当時を振り返り「ダルビッシュは手のかからない子だったね。予選でも決勝戦に合わせろといえば、きっちり調整してきた。中学で初めて見たときから、いずれメジャーに行ける子だと思っていた。暇ができたらダルビッシュの試合を見に行きたいね」と笑顔で話し「九州国際大付の準優勝後に仙台に帰ったら、飛行機を降りたときから励みになったと皆さんが喜んでくれたのがうれしかった」と故郷の友人、知人、市民らの笑顔が胸に響いたという。

 晩年は黄色靱(じん)帯骨化症(注)を発症、車いす、杖が必要な生活になった。以前から「野球は70歳までかなと思っていた。新監督を育てたいし、そうするとちょうど70だからね」と勇退に至った経緯を説明。今後は総監督として部長から監督に復帰する山田孝次氏(35)をサポートする。

 「私の教え子は1300人いる。みんなに電話できないから、勇退したよと書いていただいて、それを教え子が見てくれるでしょう」と笑った。「甲子園で27試合できたからね。長い監督生活に悔いはないよ」甲子園16勝11敗。準優勝2回と高校野球界を引っ張った名将がユニホームを脱いだ。

 ◇黄色靱帯骨化症 脊髄(せきずい)後ろにある黄色靱帯が骨になって神経を圧迫、足の麻痺を起こす病気。

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2019年4月5日のニュース