北海道地震 被災地で支え合う人々の温かさ 再確認した記者としての“使命”

[ 2018年9月13日 10:00 ]

地震が発生した6日、札幌市内の合宿所で取材する報道陣にこっそり差し入れする日本ハム・木田優夫GM補佐
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 下から突き上げるような衝撃で目覚めた。札幌市内の12階建てマンション。自室は12階だ。半身を起こしたが、そこから立ち上がることはできない。激震だった。揺れが小さくなってテレビをつけたが、すぐに停電。窓の外を見ると信号機も消えていた。普段はネオンが見える「すすきの」方面に目を移す。日本屈指の歓楽街も闇に消えた。

 今月6日の午前3時8分頃。北海道を最大震度7の地震が襲った。暗闇で余震に耐えながらプロ野球・日本ハムの担当記者としてできることを考えた。取材だ。夜明けとともに選手らが滞在している同市内の球団合宿所に向けて出発。サイレンが鳴り響く中を歩いた。同市の中心部は家屋の倒壊や道路の陥没など大きな被害はなかったが、交差点では警察官が交通整理を行い、営業している一部のコンビニには人々が殺到。これまでテレビでしか見たことがなかった「被災地」の状況が目の前に広がっていた。

 約40分で合宿所に到着。隣接する室内練習場も含めて施設に大きな被害は見られなかったが、停電と断水は続いていた。選手らは前日5日の西武戦後に旭川からバスで移動し、約2時間をかけて午後11時に合宿所に到着。試合と移動の疲れで寝入った矢先の激震だった。大田、清宮ら滞在していた14選手は一様に不安そうな表情を浮かべ「停電で室内練習場も使えないから練習も何もできない…」と口をそろえた。

 報道陣は締め切り時間や減っていく携帯電話やパソコンの電池に焦りながら取材を続けていた。そこに木田優夫GM補佐の姿が。合宿所や選手の状況を確認し、報道陣の様子も見にきたという。小学時代に父親の転勤で数年間を過ごすなど愛着ある土地で発生した大地震。「今は早く元通りに、元気になるよう祈るだけ」と沈痛な面持ちで語り「ちょっと出てくる」と言って車で走り去った。戻ってきたのは約1時間後。人数分の飲料水とお菓子を報道陣に差し入れし、逃げるように去っていった。おそらく購入までに数十分は並んだのではないか…。涙が出るほどおいしかった。

 その後、電源を求め訪れた道庁でもコンセントや座る場所を譲り合うなど人々は支え合っていた。パソコンで原稿を書いていると年配の男性から「頑張って、しっかり伝えてよ」と激励された。17年住んだ東京から2016年10月に北海道に転勤した。まだ居を移して2年弱だが、これだけは言える。道民は温かい。

 愛する家族や自宅を失い、避難所で生活する人もいる。そんな人たちが心の底からプロ野球を楽しむ日が来るのは、まだまだ先だ。今回の記者の苦労など大したことではない。栗山監督は「プロ野球選手は使命がある。元気であるなら、どういう状況でも戦う姿を見せるべき」と言う。記者にも使命がある。北海道への思いを胸に戦う選手たちの姿を伝えることだ。(記者コラム・山田忠範)

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2018年9月13日のニュース