【消えた天才】江川卓から唯一、本塁打を放った無名の高校球児 プロ入り後の波乱人生

[ 2018年1月1日 12:00 ]

怪物と呼ばれた作新学院時代の江川卓
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 広島でプレーした元プロ野球選手の石渕国博(62)。全国的には無名な高校球児だった彼がプロ野球の世界へ進んだのはある1本の本塁打がきっかけだった。その1本とは作新学院の怪物・江川卓(62)から放った本塁打。たった1本の本塁打に左右された男の人生とは―。

 江川は高校時代、公式戦44試合でノーヒットノーラン9回、うち完全試合2回を記録するなど圧倒的な成績で、怪物の名をほしいままにしていた。公式戦の被本塁打は0。まさに向かうところ敵なしだった江川だが、著書「江川卓が怪物になった日」(竹書房)で高校時代に打たれた唯一の本塁打として、石渕の本塁打を振り返っている。また江川とバッテリーを組んでいた現衆院議員の亀岡偉民(62)も「完全なホームランでした。ぴったりタイミングが合っていましたから。吸い込まれるように打たれました」と当時を鮮明に記憶している。

 石渕は宮崎実業の全国的には無名の一球児にすぎなかった。転機は宮崎で行われた作新学院との練習試合。江川見たさに集まった5000人の観客の目の前で江川の渾身のストレートを引っ張り、見事に左翼席へ放り込んだのだ。この1本の本塁打でまたたく間に石渕の名前は全国区に。これがきっかけで、広島からドラフト7位で指名されることとなる。

 広島に指名されたときにはすでに社会人野球への内定が決まっていた石渕。当時の規定では「一度プロ野球に入団した者は社会人野球でプレーできない」。予定通り就職すれば一般的な会社員の2倍以上の給料と終身雇用が保証されていたが、広島への入団を決意。ところが、石渕は1軍の試合に出場することができないまま、入団からわずか3年で引退。大学進学を選んだ江川がプロ野球入りするよりも前に、表舞台からその姿を消した。

 怪物から放った、たった一本の本塁打によって翻弄された人生、プロ入りの決断に後悔はないのか。プロ引退後、テレビによる取材は一度も受けてこなかったという石渕が3日放送のTBS「消えた天才 一流アスリートが勝てなかった人大追跡」(後6・00)で、わずか3年でプロ野球生活を終えた理由と現在の思いを激白。江川から放った本塁打を秘蔵映像とともに振り返る。(文中敬称略、年齢は2018年現在)

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