【大阪】12人のPL学園 誇り持って挑む 最後の特別な夏

[ 2016年6月24日 09:00 ]

6月4日、練習試合・興国戦のマウンドに立つ藤村哲平投手

第98回全国高校野球選手権・大阪大会

 春夏の甲子園大会で計7度の優勝を誇るPL学園(大阪)にとって、特別な夏がやって来る。2015年度から新入部員の受け入れを停止し現在3年生12人だけで活動。今夏を最後に休部状態になる。永遠(とわ)の学園の運命はいかに―。大阪大会の抽選会は、24日に行われる。

 6月4日にあった興国(大阪)との練習試合。PL学園は3点を追う9回、主将・梅田翔大の右越え本塁打で1点差に迫った。なお1死一、三塁の好機でスクイズは失敗に終わったが、最後まで諦めない姿勢は相手ベンチにも伝わった。試合後、PL学園出身の興国・吉田久人コーチ(26)は3年生部員12人の前で言った。「最終回の攻撃は鳥肌が立つくらい、怖かった」。後輩が見せた粘りに胸を打たれた。

 数々の栄光を手にし、高校野球界の名門と言われたPL学園が、今夏を最後に休部状態に陥る。「このユニホームに泥を塗らないよう、着ている以上はプライドを持って戦いたい。諦めている姿が一番ダメだと思う。泥くさく、つないでつないで、そんな野球を見せたい」。梅田は部員の総意を代弁した。

 現部員は入学時から野球経験のある監督の下でプレーしていない。2代続けて校長が監督を務め、今春からは剣道部出身の川上祐一監督が指揮を執る。梅田は「(野球経験者の監督は)いつか決まるだろうと思っていたけど、ここまで来てしまった」と率直な思いを明かした。5月中旬には他部と共有する新室内練習場が完成。部員は夜の練習や自主練習などで使用している。今月17日には中村順司元監督の激励も受けた。部の存続へ、わずかな可能性は残っている。奥正直克部長は「廃部ではなく(活動)再開に向けて学校全体で動いています」と含みを持たせた。

 昨秋の大阪大会は汎愛に、今春は太成学院大高にいずれも初戦敗退し公式戦の勝利はない。「最後の夏が近づいてきている。この際、この状況を意気に感じて頑張りたい。僕たちはできることをまっとうするだけ。重圧も感じますが“やってやるぞ”という気持ちです」(梅田)。PL学園にとって、最後の特別な夏が始まる。 (吉仲 博幸)

 ◆PL学園 1955年4月にパーフェクトリバティー教団を母体に創立。野球部も同年に創部。62年選抜に甲子園初出場して8強入りし78年夏に初優勝。甲子園春夏通算で37回出場し歴代3位の96勝(30敗)、優勝7回(春3、夏4)を誇る。2009年春夏連続出場したのを最後に甲子園から遠ざかる。

 ≪“休部”への経緯≫

 ▽13年3月3日 2月に部内で複数の上級生による下級生への暴力事件が発覚し春季大阪大会の出場辞退。その後、6カ月間の対外試合禁止処分を受け、夏の大阪大会出場は不可能に。当時の河野有道監督は退任。

 ▽同9月1日 後任監督が決まらず、野球経験のない正井一真校長(当時)が指揮を執り、秋季大阪大会初戦で勝利。準優勝し近畿大会出場も初戦で福知山成美に敗戦。

 ▽14年10月11日 15年4月に入学する野球部員の受け入れ停止が判明。

 ▽15年4月18日 正井校長の後任・草野裕樹校長が指揮を執り春季大阪大会8強入り。夏の大阪大会も準々決勝で敗退。

 ▽16年2月16日 剣道部出身の川上祐一氏が新監督に就任。

 ▽同4月16日 春季大阪大会は2回戦(初戦)で太成学院大高に2―9の8回コールド負け。昨秋に続き公式戦は初戦敗退。

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